フーテンひぐらし -3ページ目

フーテンひぐらし

永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

2月に「眉ってだいじ」のタイトルで、ブロウリフトの施術を受けた時のことを書いた。

次の時はここにも書いた「大好きなダンサーさん行きつけのお店」に行ってみよう!と決めたので、2月にやってもらってから4月まで眉の手入れを放置した。施術から1ヶ月半くらいで、毛流れを整えるパーマは落ちた感があるし、2ヶ月経つとワックスできれいに取り去ったムダ毛部分もはっきり生えてきたのが分かる。
それをまた我慢してギリギリまでほっといて、先週やっと横浜にあるそのお店に出かけた。

たまたま運良く、そのダンサーさんを担当している方に施術してもらうことができたので「Nさんのインスタを見てこのお店を知り、あの眉の雰囲気を目指したくて来ました」と伝える。とはいえNさんはミックスルーツゆえ、毛が眉尻までびっしりと濃く美しく生えそろっている。私の眉とは密度が違う。そもそも顔が違いすぎる。
でも、日本人に見られないこともよくある私の顔はまあまあいけるんではないか…という期待をしつつ、外国人ふうの「毛流れハッキリ立ち上げ眉」でお願いしてみた。



またしてもカメラを見てるせいで寄り目気味ですけど、前回と今回の雰囲気の違い、分かりますかね?

はっきり違うのは、毛の立ち上げぐあいと眉のかたち。今回はより毛流れが自己主張してるのでワイルドさがある。特に眉頭。
眉のかたちは前回が旬の平行眉に近い感じ。角もしっかりつけてくれた。今回は目と額のかたちに合わせたカーブ型。角はつけられていない。(このあたりどう仕上げるかは、事前にちゃんと聞いてくれます)

どちらのお店でもだいたい同じようにオーダーしたけど、

・日本や韓国で旬な形とナチュラルになじむ雰囲気のオーダーがメインの施術者さん(前回)
・ミックスルーツの方の眉も長年担当、外国人風くっきりオーダーに慣れている施術者さん(今回)


とでは、これくらい違うのだなー。


特に今回は目指したい方向性の共有が完全にできていたのは大きいかも。好みは人それぞれだけど、私は今回の仕上がりがだんぜん好き。私らしさも出ていると思う。いっぽう一般ウケがいいのは前回だと思う。前回のは落ち着いて見えるけど、今回のは実物を見るとけっこう強めだから。

多分、髪もメイクも同じなんだろうな。ベースにしたいカルチャーとか方向性がもともと得意とか、そっちの方向性の人たちを多く施術しているお店のほうが話が早い。

それにしても眉って、ブラシで毛流れの方向変えるだけでこんなに変わるんだな…と毎回驚く。
まだまだ眉書き足すのはへたくそだけど、もう少し手慣れるよう、がんばります。


今回行ったのはこちらのサロン。ネイルもまつ毛もやっているお店です。ブロウリフトは男性もできます。カウンセリングも丁寧だし、仕上がった後のアドバイスも細かくしてくれます。担当してくれたのはマリさん。明るくてお話しやすく、とってもいい方です。私は次回もお世話になる予定。
ネイルアンドアイラッシュサロンR
 

 

帰りに少し歩いて山下公園へ。春!って感じの色合い。

 

ずーーーーーっと2人でイチャイチャしてたハマの鳩です

 

いきなり何の話!?って感じですがこれが第0話です。

まずは、これまでの(ダンスと私に関する)あらすじをざっくり羅列していきます。


★大学〜会社員時代
高校時代、マイケル・ジャクソンや一世風靡セピア(!)に魅せられ、大学時代にサークル活動を通して始めたダンス。それによって生まれたきらきらした青春の日々が捨てきれず、社会人になってたった3年で「ダンサーになりたいから」というアンビリーバブルな理由で広告会社を辞めた。それが私である。
なのに他のダンサー志望の友人のように毎日ごりごりにレッスンを受け鍛錬したりしなかった。週に数回レッスンを受け、下手なくせにオーディションも選り好みした。ダンススタジオの発表会だけは皆で出られるので楽しんだ。なのでダンスの仕事はたまにしかなくて、基本アルバイトで食いつないでいた。そしてそれを「運に恵まれない」と思っていた。

私はきっと「仲間と踊る日々をおくる私」「文化祭のような日々を過ごす私」が好きなだけであって、何がなんでもダンスで食っていく気概などなかったのだ、と今は思う。

その後ひょんなことから創業したばかりのベンチャー企業に勤めることになる。安定した生活と月給は得たが、激務の中であっという間にダンスをする生活は失われた。
あるとき社員総会で出し物として社員を踊らせたいから指導をしてくれと頼まれた。その結果、毎年2回、1ヶ月間というリハーサル期間をとりスタジオを借り、ダンス経験ゼロの自社社員にガチンコでダンスを教える不思議な風習が生まれるようになった。それは10年近く続いた。その期間限定の部活のような、文化祭のような日々で、私はダンス成分をかろうじて摂取していたのだ。


★総合フィットネスからビーモンへ
アラフォーになってからは近所の総合フィットネスクラブにあるダンス系のPGMを受けるようになったけど、健康維持のための場は参加者の意識や感覚も含め、ちょっぴり物足りなくはあった。
その後「NYで流行りの」と鳴り物入りで登場した暗闇ボクシング「b-monster」を始めた。ボクシング自体に特に興味はなかったけど、クラブのような照明の中、流行りの音楽に合わせて踊るように動くボクササイズはめちゃくちゃ楽しく、すごくキツく、圧倒的な達成感があってすっかりハマった。「3ヶ月やってダイエットに成功したらやめよう」と思っていたのに気づけば6年。いまも通っている。

踊ることからすっかり遠のいても、いや遠のいたからこそ「やっぱりダンスをやりたい」と思っていた。大学時代にダンスの道に進んだ友人たちはダンサーとしての実績を積み、今ではダンスを教える立場になり、私がそうつぶやくたび「いつでもスタジオに来なよ」と言ってくれてた。「今日がいちばん若い日なんだよ。やりたいならすぐやるべき」と。
しかし今さらあの「ダンサー志望の若者たちが集うダンススタジオ」に行けるわけがない!と思ってしまう。しかも中途半端な過去の経験とただ「楽しく踊りたい」という気持ちだけ持った中年の私が。
 

というわけで何年も何年もずーっと尻込みしっぱなしだったのだ。


★カーディオのトライと挫折
b-monster(通称ビーモン)ではすっかり古株会員になったけど、その頃から自分の身体が「ビーモン向き」になっていることが気になってきた。
別に「ビーモンに通っていると誰しもこういう体型になる」というのではない。実際、通っている人の体型はさまざまだし。
でも私の場合「自分の好きなPGMで動きやすい筋肉に偏る」とか「すこやかに腹が減るので部活帰りの10代みたいに飲み食いしてしまう(つまり節制をしない)」とかがあって、結果、まあまあイカツい感じに育ってきたのだ。全部自分のせいですけどね。

ダンススタジオに行く前に、まずは踊れる体型に少しずつ戻していきたい。踊るのに適した筋肉の使い方に慣れたい。
というわけでビーモンと並行して「CARDIO BARRE(カーディオバー)」にいくことにした。カーディオバーはLAで人気のバーエクササイズ。バレエのバーレッスンをもとに考えられたPGMだ。
ビーモンのキツさに慣れていたのでそれよりは楽だろう、バーレッスンなら昔やったことあるし、とたかをくくっていたらとんでもなかった。身体の使い方が全然違うからだ。
ビーモンでは主に身体の外側の大きな筋肉を瞬発的に使っていた。でもバレエをもとにした動きでは、主に身体の内側の筋肉を細く長く絞り上げるように使う。私の内側の筋肉(特に内もも)は完全に衰えていて、スタジオ内でいちばんイカツいのにスーパー動けなかった。

カーディオバーに通っていれば間違いなくサボッてた筋肉が目覚めるだろうとしばらく通っていたのだけど、その頃ちょうど更年期が始まる。何をしても身体は重くこわばる。ビーモンは発散型なので「動いてりゃ何とかなる」のだけど、バーレッスンはそうはいかない。
速いペースでノンストップで動くバーエクササイズで周りについていこうとすると、つい間違った筋肉(使い慣れた外の筋肉)を使って無理やりポーズをキープしてしまう。今どこを使うべきかを考えるヒマがない。「今の体型と今の動けなさのまま、ハイペースでバーをこなすと私の身体は間違った作りになっていくな」と思った。なので思い切って退会した。
PGM内容も本格的で良いし、インストラクターの皆さんも本当に素敵な人ばかりでとてもいいジムだったけど、その時の私には向いてなかっただけだ。



★そして今
更年期問題はホルモン剤を服用するようになってだいぶ解決し、相変わらずビーモンにだけは通うという日々に戻った。この段階で、ダンスに関してやりたいことはまあまあハッキリしてきた。

・予想以上に動けないので初心者レベルで始める
・先生や振付(コンビネーション)の好み以前に、基礎からやる
・基礎の動きを細かくゆっくりやってくれるクラスでやる
・身体についてる変な偏りやクセを取っていく


大事なことはゆっくーりやること!基礎の基礎からやること!
そう、大学時代、パドブレやピルエットの練習から始めた頃みたいに。


それにしてもあれだな…細部はだいぶはしょっても、こうして書きつらねて痛いほど分かるのは「私はぜんぶ中途半端」ってことだ。書いてていやになったよ。

ダンスって本来、心のおもむくままに楽しく動くことでいいんだけど、人前でかっこよく素敵な動きをするためにはある程度の鍛錬が必要だ。自分と向き合ってだめなところを認識し、そこを練習で少しずつ直してゆく作業。私はそれが全然できていない。たぶん、ダンスだけじゃなくて仕事とか他のこともだ。できないくせに自意識が過剰。わー。こういう自分との対峙をせざるを得ないのが芸事のおそろしいとこだった、私そこからスタコラ逃げ出したんだった…と思い出す。

今の自分は人生の中でもかなりかっこ悪くてしょうもない状態にいると自覚しているので、それで却って「どうせみっともないからジタバタしてもまあいいや」と思えてるのかもしれない。人生後半戦でかっこつけるとこはどこにもないってのもあるし。

というよけであんなに長年尻込みし続けたくせに今年になって私は急に「あ、4月から始めよ」と思い立つのであった。

 

つづく。


 

槇村さとる先生のダンスまんがの名作「ダンシング・ゼネレーション」。ある年齢以上の人は間違いなくこれに影響受けてダンス始めてる

 

4月に入ったとたん、扁桃腺を腫らした。

3月最後の2日間くらい、「なんか痛いな」「扁桃腺が少し変だな」と思っていたら、高度経済成長期の日本かよというくらいのスピードで(いや知らんけど)扁桃腺から奥に移動しつつ症状が成長してしまった。唾を飲み込むのすら痛い。

最近はひとけのない屋外や自転車の時にはマスクをはずしているから、春先の不安定な空気にあたったかなと思っていながらも、はっきり思い当たるふしがあった。

3月下旬に行った氣志團GIGで、声出しが解禁になったのだ!(マスク必須で)
みなさん久々だから最初に練習しましょ的コーナーがあって、そこで3年ぶりくらいに大きな声を出した瞬間、喉にひっかかりを感じたのだ。ちょっとビリッとしたな今、って感じの。その時「ああ、数年ぶりだと大声出す力も衰えるんだな」と思った。まあ何度か叫ぶうちに慣れていったんだけど。

その1週間後、今度はビーモンで声出し解禁のPGMに出た(こちらもマスク必須)。
ビーモンは運動の場だけど、クラブのような盛り上げを信条としているので、パフォーマーという肩書きのインストラクターが参加者を煽ったり、「Are you ready?」「YEAH!!」などのコール&レスポンスがあったり、曲や動きに合わせて「Hey!Hey!」など言ってみてねーというのがあるのです。

飛び跳ねながらサンドバッグを打ちながら声を出すのは爽快で、「うわー!そうそうこれがビーモンの大きな魅力のひとつだったよなあああ」とか思いながら楽しく動いて終わった。

その翌日、美容院に行ってこれまた数年ぶりにマスクをはずしたまま髪を切ってもらった。輪郭と顔の下半分を隠して施術してもらうのずーーーっと不本意だったから。美容師さんは大丈夫って言うけど、やっぱり「こういう輪郭でこういう全貌のツラでございます」って出てるのと出てないのとで、切り方や調整ってぜったい変わってくると思うんですよ!
というわけでお店では「お客さんはマスク自由」となっていたから、はずした。そのまま会話してゲラゲラ笑ったりしてた。

そしたら、喉痛くなった。見事。

マスクしてたこの3年って風邪ひとつひかなかったし、やはりマスクのウイルス予防効果ってすごかったんだなーというのと、

俺らのノド、3年間甘やかされてた

ってことを痛感した。
大事に大事に守られ、大声を出すこともなく、温存され続けてたんだ…。だからちょっとシャウトしただけで、マスクはずして会話しただけで、ノドやられてしまうヤワな体になってしまったんだ。ちぇっ。

それにしても咽頭というのはやられてしまうと本当に萎える。普段意識することがほぼない器官なのに、痛めるといきなり全面主張してくるし生活に支障が出る。これは鼻がやられる時とまったく一緒だ。
唾を飲み込むのが痛くなって初めて「ふだん唾って意識して飲んだりしてないんだな」と気づくし、咽頭を痛めると何だか唾も粘度を増して「たん」みたいにになり、飲み込みたくないから口の中にたまるようになる。それがとっても嫌。(口を開きたくなくなり、超絶に人と会話したくなくなるのも嫌だ)

高齢の病人が入院時に「たんを取る」というルーティンが発生することを思い出す。咽頭が元気だと唾はサラサラで無害だけど、病を得ると唾や鼻水は粘度を増し、たんが喉や口中に絡み、とてつもなく不快でやっかいなしろものになるんだな…と身をもって実感する。

耳鼻咽頭科に行った日、発熱前に特有の悪寒の赤ちゃんみたいなじんわりしたものを肌に感じたので「やばい」と思い、その日はたくさん寝た。そしてもらった抗生物質を飲んでいたら2日めの後半には良くなり始め、今度は逆のスピード感でれあよあれよという間に症状が治っていった。本当によかった。

数日後にEXILE THE SECONDの実に5年ぶりのLiveに行く予定があったから、何が何でも発熱するわけにはいかなかったのだよ。おかげでLive当日は元気で楽しめた。ありがとう医学。

みなさんも、ノドに気をつけてね。
3年間甘やかされたノドをいきなり使うのは、一切運動してこなかった人がいきなり全力疾走することや、手入れをせず放置した錆びた刀で敵に囲まれ大立ち回りをすることに等しいから…。


※後日、母と話していたら「声帯も使わないと衰えるからね」と言われ、なるほどと思った。年をとったら身体や顔だけでなく、口中の筋肉もメンテが必要なのか…!

これからの私たちはもっと歌う必要があるのかもしれない。

 

 

全然関係ないけどこちらは城を枕に討ち死にしたシルバニアの赤ちゃんです


LINEスタンプの第二弾をつくりました。

「デコに文字2」です。

1より大きさを小さくし、使いやすくしました。

 

1の時は初めてのデジタルお絵かきだったこともあり、線がガッタガタでしたが、「ここをこういじればスムーズな線が引けるのかァァァァァア」と最近になって気づきを得てびっくりしています。(デジタルだと絶対に線がよろよろするので、自分は実は何らかの病を得たのかとか、デジタルにはむいてないんじゃないかとか、色々悩んでたので)

 

よかったらつかってくださいね。

 

(なんか英語表記になっとるけど気にしないでください)

 

 

1も引き続き販売しています。

https://line.me/S/sticker/15538101

 

どこかの街の喫茶店にいたら、今から近くの劇場でタブレット純さんによる「仁義なき戦い」漫談が始まることを知り、「それは見逃せない、絶対行く!」となった夢を見た。目が覚めて、そんな公演が存在しないことに心底がっかりした。

昨日縮毛矯正をしてしまったので、今日はビーモンに行くのをやめておいた(滝汗をかいてシャンプーできないのはしんどいので)。しかしマー(夫)は行くという。しかも新宿に!えらい。まるでこの春から電車通学する小学生の子に教えるように、渋谷から埼京線に乗り新宿西口地下のダンジョンを抜けて地上へ出、スタジオへゆく道をレクチャーした。スマホに全部メモる40半ばの男…。

マーが出かけた後、書いていなかった手帳のページを埋め、「こちらあみ子」の原作を読み返す。映画はかなり忠実だったんだなと改めて。映像がない分の救いと、あみ子の心情が描かれている部分の胸の痛みの両方を感じる。原作では、祖母の家で新たな友達と新たな生活を楽しんでいるように見えるあみ子がいるのがわたし的にはすこしホッとする。

スーパーに買い物にゆく。目黒川沿いはまだ人が多く、皆がスマホを構えている。桜はついにはらはらと散り始めている。花筏になるほどの量はないけれど、かわりに川へと降りる作業用階段に花びらがたくさん落ちていた。風のせいで、花びらは一段の四つの辺のうち上方と左方に吹き寄せられ、ピンク色の影みたいに平面に陰影を与えていた。
目の前を歩いていた女の人はポストに郵便物を投函し、くるりとこちらを向いて元きた道を戻っていった。カタン!というポストの扉の音が、何かの始まりを告げるようだった。

あしたから4月。