私たちはめんどくさい人なのか?【日記】 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

2月になってしまったよー。早い。いや遅い。
1月は元旦から大変な災害が続いたし、そのあとは氣志團のホールツアーに3箇所行ったし(しかも南浦和、青砥、相模大野と初めての会場ばかりだった)、3年半前にb-monsterを退職した私の推しパフォーマーが復帰したし、悪い方にもいい方にも濃さの詰まった月だったので、「まだ1ヶ月しか経ってないのか!?」と驚いたのだった。

そして1月が終わろうとするタイミングで、「セクシー田中さん」の原作者の方の悲しい事件が起こってしまった。とてもショックでやりきれない。

その後、小説や漫画などの作品を作る作家さんたちが次々と「実はこういう嫌な思いをした」と経験を述べていてびっくりしている。こんな有名で人気のある作家さんでさえ、こんなにリスペクトのない、ないがしろにされてると思えるほどの目に遭ってるなんてと。

私は作家ではないし、コピーや文章で仕事をしているちっぽけな個人事業主なので比ぶべくもないが、それでも「業界の構造はひどいな」と思うと同時に勇気づけられる思いがした。

仕事において繊細(つまり社会性がひくい)で口うるさい(つまり面倒くさい)と思われてるのは、ずっと自分個人の特性であり欠点だと思ってたから。

考えたことばの一言一句に理由と意図があるので、雑に簡単に変えて欲しくはない。
もちろん私のは「作品」ではなく、クライアント様ありきの「納品する商品」であるので、変えてと言われたら、それが先方の望みなら変える。
理由が「つまらない」「いまいち」ならいいのだ。私の力不足だから。でも、変える理由がよく分からず、あいだを仕切る人もよく分かっておらず、それでもただ「変えろって言うので変えて」みたいな、子供の使いみたいなやり方をされたら、絶対に乗らない。

いちいち細かく説明するし、ダメな理由もがっつり聞くし、腑に落ちなければ一度でスッと受け取らない。確認はしつこくしたいし、誤字脱字は絶対にないようにしたい。効率や「時間がない」という理由だけで確認なしに手放したくない。
私のためじゃない。その方がクライアントの先にいるお客さんにとっていい結果になる、と思ってるだけだ。

でも、そういう態度を表明しただけで、相手の顔に(顔が見えなかったとしても)「うわーこの人めんどくさいひとだ」って文字がありありと浮かぶのだ。
たかが数文字の日本語じゃないか。誰かが代わりに直したっていいじゃないか。デザイナーも忙しいんだ。時間もないんだ。何度も確認しなくたっていいじゃないか。
そう書いてある。顔に。

そして私は「めんどくさい人」として扱われる。

そんなんばっかなので、私という人間は処世が下手なのだろうと思ってた。

でもそうじゃなかったわ。
綺羅星のごとき作家さんたちが皆、自分が考えて作ったものを考えなしの誰かにイージーにいじられることが耐えられないと書いていた。外野の想像以上に心が折れ、精神が病むと。

比ぶべくもない存在の私だけど、おんなじだと思った。

やっぱりそうだよね。当たり前だよね。
それは繊細とか気むずかしいとかじゃなくて、ものを作るなら当たり前のこだわりだよね。考えて考えて作り出したものなら、直す時も理由を聞いてがっつり取り組みたいよね。それを手にとる人のためにもね。

きっとデザイナーだって職人さんだってシェフだって総務だって営業だってエンジニアだって、そういう部分は必ずあるよね。子育てにもきっとあるよね。

自分が大切にしてきた大事な部分をあんまり理解もしないような人が、リスペクトなしに「効率・売上・広める」という目的ばかりを優先させてこねくり回そうとしたら、うるさくも細かくもなるよね。

そつなく上手く効率よくできる人が「できる社会人」で、立ち止まる人が「めんどくさい人」じゃないよね。ていうか、それならめんどくさい人でいいよね。

これからもそこは譲らないでいこうと気持ちを新たにした。
私は「いい感じの日本語を代わりに書くだけの便利屋さん」とかではないので、めんどくささを抱えたまま、お仕事をしよう。

 

 

ついさっき読んだ佐藤秀峰さんのこのnoteが衝撃だった。

佐藤さんはこの騒動のとき「わからずやでワガママ」みたいな扱いをされていたはずだ。でも全然そうじゃないのだ。

早くこういう業界の、個々人の体質が変わったらいいと思う。

 

最後の一文が深く刺さった。