ソチ雑感1・時間をかけるということ | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


今回のソチ五輪は、個人的に色々なことを考え気づかされた。
葛西選手が長い長い苦労の末に40代でメダルをとった、

ということも大きいんだけど。


五輪に対する寸評でも賛美でも憂いでもなくて、
ほんとうにわたしの私的な気づき。


それをいくつか書き残しておこうと思う。今日はその壱。


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オリンピックは4年に1回、という事実の重さに、
今さらながらに気づかされたのが今回だった。


4年間がんばったものが、たった1日か2日のうちの
数分の結果でジャッジされるということ。
そしてアスリートたちはまた4年後に向けて

長い長い道を歩き始めるということ。


「オリンピックってそういうものじゃん」と言ってしまえば
それはわたしたち一般人とは全く関係ない話になるんだけど、
そういう厳しさに対する感動、とかじゃなくて。



「時間をかけたもの」はそこかしこにたくさんあって、
それの持つ重みというのを、もっと自分にも持たなくては
いけない気がしたのだ。



夜更かししすぎてねぼけまなこで観てた休日のテレビでは
オリンピックみたいな感動秘話には全くなっていないけど
「行列のできる美味しいお店」の紹介かなんかで
「実はこのスープは12時間煮込んでいる」とか、サラリと言ってた。


別に行列のできる店でなくても、食べ物屋さんでは
2時起きだの5時起きだので、普通に仕込みをしている。
それを「努力」とか「サービスの秘策」とかアピールせずに
もくもくと、毎日当たり前みたいに、やっている。


よく考えたら、すげえことだ。


オリンピックへの努力は、晴れの舞台が用意されている分、

まだ(受け手側に)わかりやすいのかもしれない。



できたものが見るからに凝った料理もあれば、
普通の豆腐だったりもする。
絵だったりもする。踊りかもしれないし、
知識なのかもしれない。


1万円払うものもあれば、200円くらいのものもある。

(親の「子育て」なんて、子供はタダで享受できる)



みんなが「ものすごい時間をかけている」。
普通の顔して、長い長い時間に醸されている。


そして、わたしたちはそれをお金をかけて買う。
または、ありがと、と受け取る。

または見て「おおーっ」と言う。


それが、まっとうなのではないかと。



ネットの世界で働いていると、「早い(速い)」ことが美徳だ。
使っているものもとても便利だから、色々なことが手早くできるのだ。


「巧遅は拙速にしかず」がベストな業界である。

とりあえずリリースだ。そして直しながらつくっていけばいい。

ゆえに「時間をかけている」ということは、
時には、ほとんど「ばか」と同じ意味になったりも、する。




だから時々、忘れてしまう。
地味に、コツコツと、とにかく「長い時間をかけてつくったもの」。
それの凄さと真似のできなさと、ゆるぎない強さ。



ひと筆ひと筆、ちまちまと
うんざりするような時間の果てに
ひとつのものを形づくる。
絵もことばも、本来そういうものだ、とおもった。


ささっと描いたら、誰の心も動かさない。



時間をかけたものだけが、人を大きく揺さぶる。
足を運んでまで、お金を出してまで、味わう価値がある。


4年かけてオリンピックの数分にかける選手たちをみていて、
そんなことをじわじわ考えていた。