悪意の向こう | フーテンひぐらし

フーテンひぐらし

永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


週末にやっと読めた。
「3月のライオン」最新巻6巻。



広野ゆうなのフーテンひぐらし-うみのちか


皆さまから「すごい泣けますよ」と
前評判を聞いていたのだが、
私、めずらしく泣かなかった。


5巻の終わりなんかはポロポロ泣いたのに。


たぶん、今回は零くんとひなちゃん、
そして二階堂くんの「決意」のほうに
入り込んじゃったからだと思う。


相変わらず切ないし、
登場人物が涙するシーンはすごく多いのだが、
彼らは「かなしい、つらい、迷っている」から一転、
「自分はそれでも絶対にこうありつづけてやる」という
すごく強い決意に満ちていた。


だから

ひなちゃんの怒りや意地、零くんの男らしさのほうに、一緒になってぶるぶるした。


彼らが流す涙が、自分以外の大切な人のためであることに
心がふるえて、握りこぶしが熱くなる思いだったよ。



私は今まで、いじめられたことはない。


中学の時たしかに派手でちょっと不良っぽいグループが
標的にしてバカにしていた女子がいたのだが
その女子をかばったところでこちらが標的になるほどの
恐怖政治もなかったし、私たちも弱くなかったし、
そのグループはほどなくして内部分裂して、
私たちのグループに助けを求めてきたから
こういうつらさは体感したことがない。


でもひなちゃんのいう「階級にあわせてふるまいの自由度が決まる」
みたいなものって、確かにあったなあ…と思う。


だから今では信じられないかもしれないが、
昔は外で会う、見ず知らずの派手な不良っぽい子たちが怖かった。
通りすがりに変なこととか言われて傷ついたりしてたもんな。


大人になっていつのまにかむしろ「強くて怖い人」に
見られるようになってしまい、私は自由になったのだが(笑)



学校というものから卒業して久しいが、
ときたまブログに中傷コメントなんかがくると、よくわかる。


人をいじめる人も、人を匿名で中傷する人も、
結局は自分の弱さやつらさを、どうにかして他人にぶつけたい、
ただそれだけなのだ。



私を悪しざまに言うそのことばたちを見ていると、
怒りはなくてちょっと笑ってしまい、そして可哀相に思う。


だって「私はこれがつらくてこれを持ってなくて
これがくやしくて思い通りにならなくて、だからあなたが嫌い」
という思いがありありと出ているから。


そうかそうか。それは残念だ。
私はそれなりに楽しくて幸せで
自分と大事な人たちのことが大好きで、ごめんな。
あんたも早くそのイライラがなくなる日がくるといいね。


そんなふうに思って終わり。


そしてもしその悪意がもっと踏み込んできたのなら、
私は拳で解決する用意とやる気がある(笑)



だから誰かさんの悪意は、
ご本人が思うような効果はなく、それで
私を傷つけることはもうできないのだった。



そして、私が悪意をもって誰かのことを罵るときがあるとすれば

そこには相手への憎しみよりもまず、自分の苦しみがあるからだろうし

それを聞く人にもきっと、ありありと伝わってしまうはずなのだ。

そう思うと、しょぼい…しょぼすぎるなそれは…と恥ずかしくなる。




恋愛などと同じで、人間関係すべて
誰かに意味なく刃を向けると
その刃はふりかざせばふりかざすほど自分にも傷をつける。
思いもよらない方向から、決して外さず確実に。



そういう人生の理が早いうちから分かっていたら、
いじめや誹謗中傷なんて起こり得ないのにね。
そして、それを受けた人もダメ―ジを受けないで済むのにね。
かなしいことだね。



…あ、一緒に買った羽海野チカ初期作品集「スピカ」もとてもよかったです!