ゴキ・ジレンマ。 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。



潜在意識は「主語」と「否定語」を理解しない、
というのは以前に書いたとおりだ。


「◎◎ちゃんって、可愛いね♪」でも
「◎◎ちゃんって、感じ悪い!」でも


その「◎◎ちゃん」の部分は理解しないから、
おのれの細胞にそのまま「可愛い」「感じ悪い」が
「かくあれ」という指令として渡ってしまう。


だから、人を褒めても呪っても、
自分にそのまま反映されるって寸法だ。



そして


「ビールのことを考えないようにしよう!」でも
「あの男のことは二度と思い出さない!」でも


「ない」の部分は理解しないから、
結局、ビールだったりあの男のことだったりが
自分の胸にプレスされるだけなのだ。




今回は、こっちの「否定語を理解しない」のはなし。



ふだん、自分がいっちばん、強く強く
「これだけはイヤ」と思い続けて恐れてることがあるとしたら
結局、人はそれに向かってぐいぐい舵を取ってるようなもんだ。



自分がブログに繰り返し書いてることばや内容だったり、
自分が必死に主張する「○○だけは避けたい」という主張だったりを
思い起こしてみれば、結局それが、オイラたちの「願望」となる。



イヤァー(iДi)




あたしはこれを個人的に「ごきぶり理論」と名づけていた。


昔から、ごきぶりに関して感じる、絶対的な矛盾である。




ごきぶりが好きな人は、皆無である。


「まあ、フツー」という人も多分、いないだろう。
できればみんな、死ぬまでお目にかかりたくはないはずだ。


なのに、ごきぶり遭遇話を募ると、
いつでもどこでもめたくた盛り上がるのだ。



遭遇時の悲惨エピソードや、退治法や、
どのくらいキライか度合いや…。
とにかくみんな、語りのアツさがハンパではない。
そして、その詳しさ、細かさといったら、ない。


これはどうしたことだ。


つまり、潜在意識だ。



ごきぶりを嫌うがあまり、
「どうかお目にかかりませんように」と願うあまり、
結果、「ごきぶりのことを始終考えている」という事態になっている。



…だからごきぶりは、その願望に応えて
人間さまの目に触れるよう触れるよう、
出現するのではないだろうか。



ヒー ・°・(ノД`)・°・



ごきぶりに関しては、まあいい。(あまりよくはないが)



あなたには、そのごきぶり理論に当てはまるものはないだろうか。




だいきらいな人。
苦手な人。
目の前から消えてほしい人。
できれば近くに来てほしくない人。
憎くてバチが当たってほしい人。

(人じゃなくて、モノでも状況でもいい)



その思いが強いあまり、



気付くとその動向をいちいち詳しく把握している自分がいて


結果、すんげえ目で追ってたりして



すると、やたらと自分の範疇に入ってきてるよな気がしてきて


もしくは、遠くであざ笑うかのよに
おもしろおかしく暮らしているよな気がしてきて



「これは…いやがらせか、はたまたこちらへの挑戦か!?」
そんなところまで思考がマイナスしたりして



気づけばいつも「その人」「それ」について考えている


全神経をそばだてて集中させている



…オイオイこれじゃ自分、
「好きな人」と「キライな人」に対して
おんなじ状態になってるじゃねえか!!と 笑



そんなことは、ないだろうか。



それはね

ごきぶりとイコールだよ 笑




うっかりするとそのまま、
強い引き寄せ力がはたらいて
だんだんとソレが自分から離れなくなるので注意!笑



だって、ラブな場合よりもずうっと
念波が強いんだからね 。



ヒィィィィ o(TωT )



意識の外に置く、
スルーするのがいちばん



まあ、大好きと大キライは対極ではなくて
ひとつのものの裏表といいますから、
考えないのは大層むつかしいんですが



ごきぶりも
最もイヤなことも
最大の恐怖も



「引き寄せてしまう」と思ったら、
手放せるんじゃないかと。


ゆるくぬるく無関心でいることが
できるんじゃではないかと。




あたしゃ、プラスの念が能天気に強いぶん

まれにマイナスの念が起こると

ありえないほど強いので

そうやっていこうかなと思います 笑



座禅 というか

修業 だね!