踊る人、戦にそなえる人【日記】 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

もう春始まったですか?
今日、春の店着日?
確定申告作業に追いまくられてる間に外がじわじわと春になっていくんですよね。

最近お風呂で読んでたのは辻本知彦さんの「生きてりゃ踊るだろ」。世界的なダンサーで「パプリカ」始め米津玄師MVの振付などでもおなじみ。おなじみったって私はこの本に出会うまで彼のことを知らなかった、すいません。でも本屋さんでタイトルに一目惚れした。「生きてりゃ踊るだろ」っていいことばだ。

 



身体言語をきわめている人の気づきや言葉ってとても興味深い。身体はみんなが持ってるものだから、踊らない人にも刺さることがたくさんある。

人は“理想とする自己イメージの持ち方”で体も変化する。どうせ自分なんて不格好な胴長短足だなんてコンプレックスを持っていると、そういう要素が増長するものなのだ。
すっと指先まで手を伸ばしたときに「あっ、綺麗だな」と自分を肯定する。好みのかたちがつくれたら(中略)ピタッと止めてそのままキープする。すると単純に、その美しいかたちを形成する筋肉がついていく。
強いイメージを持って自分好みのかたちをつくったり、日常の姿勢・身のこなしを意識したりすることが理想の骨格へと近づく最短の道筋なのだ。これはダンサーの体づくり以外でも普遍的に当てはまることだから、気になった人はぜひトライしてみてほしい。


「姿勢がよいと街中で嫌な目に合いづらい」「背筋をのばすと誰でもスタイルは5割増しになる」が持論の私にとっては頷くことばかりだ。

いま私はビーモン歴が長くなり、スマホやPCでとりやすい姿勢もあいまって、気づけば「ボクシングの構えに適した体つき」になってしまっている。それに危機感を覚えてるので、ダンスレッスンで口をすっぱくして言われたことやバレエダンサーの立ち方を頭に思い浮かべながら、背筋と首を長く、肩甲骨を下げるイメージで過ごそうと決めた。辻本さんの言うように「人間は日常生活に一番長い時間を使っているから、生活のなかでつねに意識しておくと、自分の見せたい見え方へと生まれ変わってくる」のだ。でも気づくと首が前に出て巻き肩になってるんだよヤバいね…。

この本には他にも、人と同じことをしないコツや、日本の画一的なダンス教育の問題点、子供に踊りの楽しさを感じてもらうやり方、そして「踊る」ことは特別なことではなく、人間の根源的な欲求だというようなことが書かれていて、とてもおもしろい。

あと、

・ダンスとはいわば「自分で時間をつくる」行為である
・身体で〈時間を自在に操る〉芸術である


と書いてあって、私が好きな踊り手はみなその場の空気の流れのはやさを自在に操ることがでるなーと思っていたので、うんうんやっぱり、となった。


今日は出がけにたまたまBS「誰が島を守るのか 〜沖縄 若き自衛隊員の葛藤〜」を観てしまった。
那覇空港に飛行機が着陸して真っ先に目に飛び込むのが自衛隊の基地。「沖縄にある自衛隊」というある意味特別な存在のことがずっと気になっていた。
まだ10代のあどけない自衛隊員たちが肌身で感じる感情はあまりに複雑だ。射撃訓練を重ねる中で「人を殺す、ということが自分にできるのかどうか…」と彼らはつぶやく。
私は、日本は平和憲法を守るべきだと固く思っている。台湾の目と鼻の先であり有事の際は最前線になる場にいる若い彼らにはもっともっと切実に感じることがたくさんあるだろう。その立場を考えると色々とものすごく難しい。
基地の一般公開日にある隊員の祖母が孫の演習を見学に来た。彼女は沖縄戦を生き延びた当事者だ。遠目から追撃砲をセットする孫を姿を見ていう。「実際(の戦争)はこんなもんじゃないよ」。武器を持つことになる孫と語らった時も、はっきりと「命を軽々しく扱っちゃいけないよ」と言っていた。

番組内で、士気をあげるためだろうけど「沖縄は沖縄出身者が守れ」と檄を飛ばした上官の言葉を聞いてちょっと耳を疑った。先の大戦では、まさにその言葉によって沖縄は本土の捨て石にされ、民間人まで戦に駆り出され巻き込まれてたくさんの人が死んだというのに。たくさんの不都合と矛盾を、日本は今でもずっと沖縄に押し付けてる。たぶん確実に、本土に暮らす私たち自身も。

お偉いの机上の思惑と戦略のために、矛盾した立場に立たされ煩悶し分断され、「自分がやらねば」と実際に駆り出されるのはいつだって庶民だ。
本当は、大義なんてうそっぱちだ。それは勇ましくも格好よくもない。そういうのをいつのまにか肩にふわりとかけられて拍手されて背中を押され、お墓の下に眠ったり名前だけを慰霊碑に刻まれることになったたくさんの人のことを考えた。

 

それでも私は己の2022年の領収書を今日もちまちまとルースリーフに貼ったりしているのだ。
このまま生きて、踊りてえよな。