武田砂鉄さんの本〜価値のあるなしって何だ | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

武田砂鉄さんの本が好きだ。

 

 

「マチズモを削り取れ」「今日拾った言葉たち」などは、世間にふわふわと漂う空気や違和感、ことばにしてないあれこれをきっちりとかたちにしてくれるので「うおーーー」と頷き過ぎる。彼の本にはドッグイヤが大量についてしまうのだ。(こういうこと書くとご本人には「共感すれば良し、ってもんじゃない」と言われてしまうかもだけど…)
そのあとに読んだ「わかりやすさの罪」は、レビューにも「わかりにくい」と書かれてたりするんだけど(それはむしろテーマに合ってるのでは 笑)、わかりにくかったり薄ぼんやり在るけど見逃されてるものを逃さずに向き合って、「こうである」と決めつけずに「こうかもしれないけど、こうではないだろうか」と軸を動かしながら漂いながら書き綴るその「わかりにくさ」が却ってよかった。

どんなことでも、意味のあるものの裏側に、意味のないように見えるものが大量に控えているはずなのだが、その無意味かもしれないものを、討議することなしにゴミ箱に捨ててしまっている現状がある。意味と無意味を繰り返しぶつけながら、そこに生じるものを言葉として拾い上げていく作業をさすがに怠りすぎている。思考する選択をベタが奪っているのかもしれない。利便的な「コード」を基軸としない、その態度を守りたい。(「わかりやすさの罪」より引用)

 

そして今読んでいるのが「父ではありませんが  第三者として考える
“「父とは」「母とは」「家族とは」の語りに潜む違和感を「父ではない」ライターが遠巻きに考えて見た”(帯文より)本だ。

私自身も「母ではない」ので、読みながら「うう、そうだよね、そうなんだよね」と頷くところと、「そうか…よく考えたら子供がいないってだけでそういう態度や考え方をする必要ないよな」と視界がひらけるようなところがあった。
私は、妊娠出産、家族や子育てにまつわる話をするとき必ず「私には子供がいないけれど」と前置きしてしまう。それは「当事者ではないから皆さんの真の苦労など分からないかもしれないけれど」という申し訳なさが枕詞みたいに必要だと思ってるからだ。そして同時に、繰り返し「子供がいない」と書くことのしんどさもあって、「なんで毎度そんな申し訳なさを表明しなくちゃいけないんだろう」とも思ってた。誰からも何も言われてないのにね。

(ちなみに「子なし」という言葉も事実だけどその「なし」の部分が好きではない)
不妊治療のほんの入り口でやめたこと、その後積極的に作ろうとしなかったことは私の人生の落ち度であり、欠落部分であり、親と世間に申し訳ないこと…だと今までは思っていたけど本当にそうなのか。違うんじゃないのか?と、武田さんの「父ではありませんが」を読んで初めて思えた。読んでよかった。

 

以下、「父ではありませんが」よりいくつか引用。

(橋下氏について)議論に値しない意見を勢いに任せて突破させるのを生業の一つにしているので、この手の発言にも勝算があると読んでいるのだろう。極論を投じ、勝ち負けで計測していく。計測するのは自分。こればかりやっている。
 

(メンタリストの人の動画について)いくつか見たが、とにかくなにがしかの価値を測り続けている。自分の尺度で測れば、自分の価値は上がり、それ以外の価値は下がり続ける。差別や戦争は常にこういった身勝手な比較から生まれてきた。

役に立つかどうか。能力があるかどうか。価値があるのはどちらなのか。この手の問いかけを社会的強者が繰り返せば繰り返すほど、どうしても「普通」であることにとらわれてしまう。名指しされて、おまえはいらないよ、と言われるのは怖い。おまえ、どうしてそんな状況のくせして偉そうにモノを言えるんだ、となるのは怖い。もうすっかりそうなっているし、そして、これからますますそうさせたがっている人たちがいる。あなたは生きている価値がありますか、と直接問いかけてこないにしても、あなたにどんな価値があるのか、いつも自問自答してくださいねという雰囲気を作ってくる。間接的にそういう空気を強めようとしている。そこでやっぱり「普通」が重視される。

そこで頻繁に持ち出され、便利に使われるのが「お母さん」ではないか。「男の理屈」は、お母さんを好む。(中略)こうやってひとまずお母さんに何でも背負わせ、役割を決めつける。結果的に、女を、お母さんを、自分たちの都合で理由付けしていく。

 


武田さんはいつも「お約束」や「当たり前」「なんとなくそう」の前でキュッと立ち止まり、ちょっと待ってくれ、それは本当にそれでいいのか?と言うひと。私はその言葉に気づかされたり、救われたりしている。

 

老人に、障害を持つ人に、子を産まない女に、従来の恋愛結婚観に倣わない人に、価値なんてないんじゃねーの?と真顔で言う人が出てくる世の中では、自分自身がいちいち立ち止まって違和感に気づいたり「それ変だよね」って言わないといけないな、と思う。