明日も生活しなくちゃいけない私たちは〜エルピスと清水潔【日記】 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

昨夜の「エルピス」観返し。とにかくこのドラマは毎週楽しみで仕方ない。そして観たら観たで数日間、いろいろ考えてしまう。
 

6話リアタイ視聴の時の感情はTwitterに書いたけど、みなさんと同様、「村井さんがこんなに優しくてかわいいのほんとずるい…聞いてないよ」という気持ち。自販機コーナーでのシーンも、カラオケで尾崎をめっちゃ尾崎っぽく熱唱するシーンも、おしぼりでうさぎちゃん作ってたとこも。何なんすか岡部たかしさん。すごい人、すごい芝居、すごいホン。

 


最高のひとことでした

村井さん好感度爆上がりだけど、そうは言っても村井さん通常運転時のイヤな物言いと立ち振る舞いは変わってない。「そんな高圧的な言い方しなくたって…普通に言えよ」と思う箇所がいっぱいある。だからセクハラパワハラ野郎なのは変わりなくて、でもほんのひととき彼の「善」というか本質的な良さが顔をのぞかせて、それが私たちを魅了し、引き込んでいく。
そう、人間は「いつだっていい人」「カンペキにやな奴」っていうのはいない。多面的。それがうまく描かれているなあと毎回感心する。

結末を知ってから観ると、証言VTRの放映をどうするか話し合う最初のシーンで村井さんはソルマックをもてあそびつつ、もう既に自身の決意が自身を追い込むことを覚悟してたなと気づく。OA直前のハイテンションは決して報道への意趣返しの気概とかではなかった。「終わり(または始まり)」に向かって突っ走る雄叫びのようなものだ。

カラオケ打ち上げのシーン、私は本当に好きで、胸に迫った。(ドラマ初回ではただのパワハラセクハラの不快地獄でしかなかったあの場でまさかこんなにジンとさせられるとは…)

「権力の前に敗れ、1人の死刑囚の未来は閉ざされ、でも彼らは歌って騒いで『俺たちは頑張った』と酔っ払うしかない」という見方ももちろんある。

でも、一期下にバトンタッチさせられる女子アナも、丸ごと入れ替えられてしまうボンボンガールズも、村井さんの横暴に腹立ちながらも最後は号泣するAD女性も、泥をかぶることを避け続けてチーフになった名越さんもそれに追従した男性Pたちもみんなみんな、浅川さんの「贈る言葉」を黙って聴きながら、それぞれの葛藤とか無力さとかを反芻しているような顔をしていた。浅川さんを観ながら、自分の思いにふけっていた。
仲良しでもまとまってもいないけど、フライデーボンボンのメンバーがひとつのチームだったことは確かだ。


でっかい真実を低視聴率バラエティで世間に突きつけ、旋風を起こしたことは確かだけど、個々の仕事と生活は続けなきゃいけなくて、真実と格好よく心中するわけにはいかなくて。なんなら個々の生活は、真実を世に問うた前よりもかっこわるく、不本意になっている。でも私たちができることは、このまま明日を生きることしかない。だからせめて今日は。
…そういう思いが画面からひしひと伝わってきて、泣きそうになってしまった。子供の頃からさんざっぱら聴いて麻痺してきた「贈る言葉」がここに流れることで、こんなに一言一句響いてしまうとは…。「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つく方がいい」「求めないで優しさなんか 臆病者の言い訳だから」とかさ…。

6話ではほとんど喋らず、終始ねむたそうだった岸本くんは少しずつ少しずつバージョンアップしているようだった。ひとりでコツコツと取材を続ける姿。



昨夜「エルピス」観終わった後で清水潔のルポタージュ「桶川ストーカー殺人事件----遺言」の残りをようやく読み終わった。

先日弟と会った時、短い時間だったけど久しぶりにサシで色々話して「弟は最高の友達」という感覚を久しぶりに体感した。
土台というか子供の頃に浴びた文化素養が同じで、いい年になった今も興味の方向が似てるのもあり、話してると噛み合うしすごく楽しい。
結婚してからは家族含めた多人数でしか会わないからどうしても会話は散らかる(それはそれで楽しいけど)。姉弟だけでのんびり話す機会が久しぶりだったから楽しさを再認識したのであった。

その時に「エルピス」の話題になり、強く勧められたのが清水潔さんの二冊だった。「殺人犯はそこにいる」は「エルピス」の参考文献にもあったが、弟は「こっち先に読んで。ドラマに通底するもんがある」というので、まず「桶川ストーカー殺人事件」を読んだのだった。

 



怖すぎる。ひどすぎる。フィクションの比ではない。
ごく普通の女子大生に降りかかった出来事の酷さ、最初は「犯人グループ」に対して感じていたそれは次第に「警察とマスメディア」に移ってゆく。怠慢や誤魔化しどころか積極的かつ意欲的な改ざんと握り潰し。嘘、嘘、嘘。命の危険をかなり前から感じていて一家で警察に訴えていたのにほとんど何もしないなんて。こんなことが許されたら法治国家とは言えなくない??
「エルピス」の参考文献にこの本はなかったけど、確かに「被害者に落ち度があったかのような誤った報道で二度殺される」ところや、事件を捜査する警察がほとんど信用できないところは同じだなーと思った。

「事件捜査については警察も嘘をつかない、という幻想」「警察と被害者の利害は一致しているはずだという根拠のない思い込み」の末、県警の嘘の言い分だけが報道された。「県警の発表の方が被害者の父親の会見よりも真実味があるというのか」という著者の怒り。清水さんの執念の取材は本当に凄い。
文庫のあとがきに被害者の父親が文章を寄せている。
「本書には、人に与えられただけの垂れ流しの情報によってではなく、自らの研ぎ澄まされた直感と信念によって、真実を探り出そうと猛烈に突き進んだひとりの報道人の行動の結果が記されている」
本当にそんなルポだった。次はいよいよ「殺人犯はそこにいる」だ。これ以上国や司法に絶望したくないんだけどな…。


新しい脅威。新しい破壊。おそろしく膨大で、複雑で、速く。
そもそも人間が追いつけるはずもないものに無理やり追いつこうとして私たちは、本当に追いつけるはずのものにさえ追いつけなくなってしまうのかもしれない。
自分が追わなければいけないと分かっているのに、とにかく忙しく、時間がない。
あるいは私もついに「忙しいフリ」をして、大事なことを忘れようとしているのだろうか。

(浅川恵那のモノローグ)


「世界はこうです。あなたはどうしますか」
「エルピス」も清水潔さんの本も、そう問いかけている。