「文にあたる」ひとたち。 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

 

フリーの校正者である牟田郁子さんの「文にあたる」を読んだ。
少し読んだだけで「あ、これはゆっくり読みたい本だ」と思った。

 



喋り言葉と同じように、本にも「綴られた文章のスピード感」というのがあると私は思ってる(もちろん、実際に描かれた時の速度は関係ない)。
小気味よく進む疾走感あふれる文章というのも読んでてとても楽しい。それとは逆にひとことひとこと、ゆったり落ち着いて語っているかのような文章もあって、それらは良質のお茶を飲むようにからだに沁み込むので、見つけるとうれしくなる。

で、そういう本に出会ったら一気読みせず、一日に一、二章程度読んで閉じる。ひとくちずつ噛んで読むようなイメージ。もともと読む速度が早いので途中でやめるのには違和感もあるのだけど、勢いで読んでしまいたくないなーと思うんだ「ゆっくり語られている本」は。

というわけで「文にあたる」もゆっくりゆっくり読んでいたので購入から読了まで時間がかかっちゃった。

牟田さんの文章は落ち着いている上に端正だなあと思う。リクライニングチェアに寄りかかって話してるというより、よい椅子に背筋を自然にスッとのばして座っているイメージ。でも決して堅苦しくない。優しさと品がある。言葉や表現の「はしょり」がない。これは校正を生業にしている人だからか、もともとのお人柄なのか。

ことばについて、校正という仕事について、丁寧に語られていてとても面白い。同じ「ことばにまつわる仕事」をする者として(私はだいぶヤクザだけど)、一語、一文に対するこだわりに嬉しくなってしまう。

本の中で引用されていた光野桃さんのこの文章にもぶんぶん頷いた。

長い文章の時は原稿用紙を床に並べて、かなと漢字の胡麻塩ぐあいをよく見るようにと教えられた。漢字ばかりで黒々していたら読みにくいのは当然だけれど、ひらがなばかりの白っぽい締まりのない画面も読む気がしない。ましてカタカナが多いのは尖って取りつくしまのない、冷たい印象になるものよ。

これは私も気をつけてるつもりだし、Eコマースの会社で商品ページのディレクションしてた時は、商品説明やキャッチコピー、メルマガの件名がそうなっていないか必ずチェックしてた。なるほど「胡麻塩ぐあい」とはうまい表現だなあ。
(その引用を受けて続く牟田さんの文章もすごく良いのです…読んでみてほしい)


校正のお仕事についてはただただ頭の下がる思いだ。マイナスをゼロにする。間違いがないことが「(一般から見て)当たり前の状態」なんだもんな。

そして素人として驚いたのが「ほんとに事実確認とかがっつりやるんだ…!」ということ。

2016年に放映された「地味にスゴイ!〜校閲ガール・河野悦子」というドラマで、私は初めて「校閲」という仕事の内容を知った。
厳密には校閲と校正は違うみたいだし、ドラマなので実際とは異なることも多いだろうけど、広告会社時代に自分たちでやってた「文字校」のもっと精密なバージョン、くらいに思い込んでた私には衝撃だったのだ。「えっ、こんなことまでやるの!?」と。
誤字脱字や表記の誤りをチェックするだけじゃなく「ここに書かれていることが事実かどうか」まで校閲が確認するの!?と。
(ドラマでは校閲部の人たちはどんどん外出して小説の舞台を見に行ったりしてたけど「まあこれはさすがにフィクションだろうな」とは思ったけど)

そして牟田さんの本を読むと、やっぱり事実確認というのは校正者(校閲者)がするのであった!
「信頼できる資料にあたってゲラの記述に誤りがないかどうかを確かめる作業」(本文引用)なので、ささっとググッて「色んなとこにそう書いてるからまあ合ってるっしょ」ではだめなのだ。信頼できる資料にきっちりあたることが大事。だから図書館で古い資料をあたったりする。「作家本人が調べて書いてるんだからそれでいいでしょ」ではダメで、第三者としてちゃんと事実確認をする。これすんげーーー大変なのでは?ドラマもあながち誇張じゃなかったんだ!と震えた。めちゃめちゃ大変で、そしてちょっとわくわくする仕事だ。

これまた私が勝手に思い込んでたイメージだが、校正者というのは「間違いを厳密に正す人」なので、生真面目で融通がきかない(誤っているならそれは必ずNGである!みたいな)のかと思ったらそうではなく(特に文芸作品の校正など)、作者の意図や狙いは何より尊重するという姿勢があり、そもそもが「なおす」ことにとても慎重な方々なのだと知って、さらにすごいなと思った。「事実としての正誤」と「敢えてそうする」のあいだに立つのは、いろんな意味でかなり腕が必要だと思うから。

というわけでこの「文にあたる」は、丁寧に読んで味わい、じんわりとからだにしみてゆくいい本なのでおすすめです。


この本を読んだ後はいてもたってもいられなくなり、Huluで「地味にスゴイ!〜校閲ガール・河野悦子」(2016)を毎晩観続けた。こんな豪華な顔ぶれだったっけ!と驚きながら。なつかしかったし、いま観てもじゅうぶんに面白い。いやすごく面白い!
昔のドラマって令和のいまとは色々な価値観や表現の仕方が違うので、観ててしんどいことも多いのだけど、校閲ガールはむしろ今の時代に合ってるんではないだろうか?(脚本は中谷まゆみさん、川﨑いづみさん)

・主人公・河野悦子(石原さとみ)は空気を読まない、迎合しない。自分の「好き」を貫く。
・上司である茸原(岸谷五朗)は部下に対しても敬語。いつも穏やかで上から押し付けない。
・幸人(菅田将暉)もゆったり話す男の子でギラギラしていない。細やかに悦子を労わる。
・恋愛エビソードはたくさんあるが、誰もが恋愛にまっしぐらしない。
・女性ばかりの職場と交友だがいわゆる「ドロドロ」を作り出さない。
・むしろシスターフッドがある。
・エピソードを作るためだけの悪役が出てこない。最初は感じが悪い人物でもその理由や変化が描かれ、最後はタッグを組める人となる。
・同僚の光岡(和田正人)の想い人は男性(杉野遥亮)で、彼らは仲良くなったのちSPドラマでは一緒に住んでいるが、その一連についてことさらな理由づけやエピソード、周りの言及がなく、ごく当たり前のカップルとしてそこにいる。


あとね、石原さとみのファッションと髪型がひたすらに可愛くて眺めているだけで楽しくなる。さらに石原さとみのコメディセンスが炸裂してるので、彼女の動作やものの言い方のひとつひとつが面白くて魅力的。さとみを好きにならずにいられないドラマ。

観たことない人には、こちらもおすすめです。

 


揚げ足とりや嘘や手のひら返し、冷笑や弱者への踏みつけがばんばん横行する世の中で、真摯で丁寧で、日常と人間とことばへの愛が感じられる本や、古臭いお約束や意地悪が散りばめられていない映像作品に触れるとほっとするし、その存在は大事だなとつくづく思います。