サラリーマン三段活用 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

 

駅構内を大量に、同じ方向に歩く灰色スーツのサラリーマン。出勤時も退勤時も、一様に疲れた顔をして、他人とは視線が絡まぬようにして、ただ黙々と進む。

 

若い頃はそういう光景を「つまらないもの、自分を失ったもの、隷属するものの象徴」みたいに思ってたな。実際に社会人3年目くらいで、竹橋駅で「わたしこの中に混じって年をとっていくの…すごい嫌だ!!」と震えた記憶がある。そうしてほどなく会社を辞めた。

 

でも大人になるにつれ、サラリーマンとは「ひとりひとりが様々な思いや葛藤を持ちつつ、やりがいのある日、しんどい日、楽しい日を過ごし、家族や自分のため頑張る人々なのだ」ということに気づくようになった。サラリーマンは記号ではない。個人個人だという当たり前の事実に。

だからそれ以降は舞台や映像等の作品でサラリーマンをそういう記号として使ってるものに出くわすと「浅いなー!そして青臭いなー」と感じてた(勝手…)

 

そしていまは第三段階。

社会がここまで不安定かつ厳しくなり、かつ自分もかなり加齢しているので、「サラリーマンな…毎月決まったサラリーと有給休暇と無料で使える社屋と設備、さまざまな福利厚生を持つめちゃくちゃ輝かしい人々…!」って思うまでになりました。「会社行きたくない・早く帰りたい」というつぶやきすらうらやましい!安定最高!

 

 

結局、どんな立場の人も当事者は大変だし、第三者からみると多分うらやましいんだ。