「楽しい」の前にこぐペダル | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

 

先週、ネットプライスから配信されているメルマガにこんなことを書いた。

 

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フツーの自転車じゃなくて、ギアをいちばん重くしてる自転車とか、スポーツジムの足でこぐマシンとか、いままさに坂道をのぼろうとしている自転車。それをこごうとする自分を思い浮かべてみて下さい。

 

最初は、とにかく重たいんですよねペダルが。

平地でフツーに自転車に乗る時みたいにスーッと軽快には滑り出せず、その重さに「うっ…!」って一瞬息が止まる。そこからふんばって体重かけると、ゆーっくりと回転を始める。その時がいちばんつらい。普段あまり使わない脚の大きな筋肉を使い、全身でこいでゆく。心拍数が、息が、上がる。そうするうちに回転のスピードは速くなり、どんどん前に進んでゆく。気づけば自分が最初のうちほど力を込めなくても車輪がぐんぐん勝手に回っているのを感じる。

 

…なぜこんな話してるかというと、最近このイメージが頻繁に頭の中に浮かぶからなんです。ボクササイズのジムに集中して通い始めて午前中からハードな運動をしてるのですが、終わってからも全身を血がガンガンかけめぐってるんですよ。それで勢いが止まらずに「よっしゃ、このままアレとコレを済ませよう!」と積極的に用事をこなしてゆき、変なテンションで「仕事だ仕事ー!」と机の前に座れるんです(笑)

皆さんにも覚えがありませんか?部屋の片づけを溜めに溜め、嫌々ながら取りかかったらどんどん拍車がかかり、あそこもここも…と手を広げ、しまいには気づいたら捨てなくてもいいものまで勢いで捨てちゃってること。とっかかりはものすごーく気力と体力が要る。とてもつらい。でもそれを過ぎると自分の中の歯車がぐるんぐるん回り続けて止まらない。こういうのをランナーズハイというのだろうか…?

 

何はともあれ「無」から最初に押すスイッチはものすごく重たい。つらい。でもええい!とそのまま進んでしまえば、どんなことだって意外とぐるんぐるん回り始めるのかもしれませんね。運動と家事以外の、いろんなことも。

 

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このことは相変わらずしみじみ感じ続けているけど、「テンションとやる気が回転し始める」だけじゃなくて

 

「楽しい」と感じるまでにも一定の時間と工程がかかる

 

ということもすごく思うんだ。

 

私は基本的に面倒くさがりなので、本来は「今のままで平穏にのんびり暮らせればいい」と思ってたりする。新しいことは面倒くさい。だからものすごーく腰が重い。

本当は絵を描くのも文を書くのも好きだけど、誰にも何も言われなければそんなの書かずにまんが読みながら胡池屋ポテトチップのり塩を食っていたい。

 

でもどこからかひとが現れて「文章を、絵を描いて下さい。いついつが締め切りです」って言われる。だから最初は「わーん面倒くさい」と思いながら机の前に座ってやっとこさ手を動かし始める。

 

そうして筆が乗ってくると「あ、私はこれが大好きだった」と気づき始め、そのうちに「うわーーこれやってる時ってたーのしー!」となり、やっと「私は絵と文をかくフレンズなんだね!」って思うのである。(とても遅いタイミングで流行りに乗ってみた)

 

何とおこがましいことか。人に頼まれて締め切りという強制力が働かないと好きな世界に入り込めないのである。きっと世の中で成功している人は「〜せずにはいられない」というキャントストップ系のひとたちだ。(だから私はずっと中途半端だ)

 

冒頭のメルマガに書いた文章とおなじく、始まりは「めんどくさい」「重たそう」なのだ。でも途中から気づく。これが大好きであることを。だから、最初のめんどくさいで挫折してはいけない。その後には「楽しい」と「好き」がかなりの確率で待っている。一度そう思ってしまえばあとは習慣にしてゆくのがだいぶ楽になる。キャントストップ系になるにはやっぱり、最初は重たいペダルをこいだり、いやいや机に座ったりする第一歩がどうしても必要だ。

 

 

だから思う。私の前に「あなたのかいたものがいいと思うので、かいてください」と現れて締め切りを設定してくれるひと。彼らは全部、天使なんだな。

 

 

※そういえば昨日読んだ吉本ばななさんの文章にも、この感覚に少し通じる部分があったな↓

 

ボクとワタシの「幸福論」第4話   「手を動かす」