空気と時間と、軸と。 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

 
人の目の前で何かをしようとする時、こちら側とあちら側の温度は想像よりずっと大きな差がある。これは舞台に立ったり、人前でプレゼンをした経験があるひとなら一度は体感したことがあるはず。
こちらが何かし始めたからといって、目の前の人たちが(例えお金を払ってそこに座っていたとしても)簡単に入り込んでくれるわけではない。最初の壁は大きいし低温。あちら側があたたまるのには時間と理由が必要だ。


最近、ものすごくかっこいい踊り手や、ものすごく上手い噺家(落語家だったり講談師だったり)を続けて観る機会があって、ふと気づいた。

ためてためて、解放して。ふんわり抱えて。
右から左へ上から下へ運んで。切り裂いて。

空気と時の流れを自在に動かして支配する。
なのに体幹(自分の真ん中)はブレない。

これが、ダンスにしても話芸にしても「うまい人・思わず魅了されてしまう人」の共通点なんだと。

上手くない人は、場の流れを動かそうとすると勢い余って自分がブレてしまう。下から入ろうとしたり、顔色をうかがってみたり、無理にこねくりまわしたり、「何か」に合わせようとしてしまう。センターに、自分がいない。


(たまにそういうすり寄りで誰かを魅了してしまう人もいるが、そういう人はプロフェッショナルなサービス精神と鉄のハートとド根性を持っている)


人前でする芸ではなくても、こういうことは誰かとの関係でよくあることなのかもしれない。

日常の人間関係ならば、「場の支配力」なんてもんを持つ必要はない。ただ、無理に好感を得ようとようとしないこと。焦らずゆっくりやること。自分の軸をぶらさないこと。ぶれない何かを持つこと(「自分は自分」という程度でいい)。
これは忘れないでいたい。