「疲れた」を連呼する人が絶対にやらないこと。 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


マーことうちの夫は仕事が忙しいです。
帰りも遅いし、昼夜問わない海外とのやりとり、
数値や人の管理など、精神的にとても疲弊しているようで、
「たくさん寝ても全然疲れがとれない」とぼやいております。

夫だけじゃなく、こういう人、多いでしょうね。
本当にお疲れさまです…と思うし
そばにいる人間としてできるフォローはしていますが、
ひとつ、すごい謎なことがあるのです。

それは

本人が、疲れをとるための
身体のメンテナンスを全くしない

ということであります。


寝ても疲れが取れないレベルだと、
もうどんなに休日に寝だめしようと、
一日中ゴロゴロしようと、
たぶんスッキリはしないでしょう。


肩から首がバッキバキなので、
私も時々マッサージしてあげるのですが、
それよりもプロの手で長時間やってもらうほうがいいに決まってます。
だから「まずマッサージに行きなよ」と私は言います。
近所で夫婦ともに長くおつきあいしてる整体院のチケットを
彼はずいぶん前に購入しています。

新たにお金がかかることもないし、
どんなに疲れてても行って身体を投げ出せばいいのですから。
1回ですべては解消されませんが、固まったものをほぐして
もらうと、ずいぶん身体はラクになります。

でも夫は「そうだよな~」って言ったきり、一向に行きません。
たぶん、自分で空いてる日を見つけて電話して予約するのが
面倒くさいのです。休日に「行かねばならない」アポを
取り付けるのが、嫌なのでしょう。

でも行って寝転べば確実に楽になるのに…すごい不思議です。


次に私は言います。
「そういう心身共に固まったような疲れは絶対、
 運動したほうが疲れ取れるよ」

俺、してるじゃん。ゴルフ」

私はしばし考えて返します。

「ゴルフってさ…疲れ取れるたぐいの運動?」

「いや取れないんだよなーこれが!」

ゴルフは、私から見ると「発散のスポーツ」ではなく
「求道のスポーツ」のように見えます。
(素人意見ですので、違っていたらすみません。)

立ち方も握り方も振り上げ方も振りおろし方も何もかも、
やればやるほど「もっとこうしなければ」という課題を抱えます。
そしてスコアで厳然たる結果が出ます。それに一喜一憂します。

細かな部分を自分でチェックしつつ、
さまざまな状況を読みつつ、
メンタルもぶれないよう注意しながら。

もちろん大自然のコースに出た時や思い通りにかっとばせた時の
爽快感はあるのでしょうが、とにかく気分の赴くままに
ヒャッハー!と暴れたり走り抜けたりして、大汗かいて
息を切らして倒れ込んで…というものではないように思います。

楽しいけど、神経使うし、課題多い。
それを攻略してゆくのが醍醐味だと思いますか゛、
ゴルフは「運動」というより「ゲーム」ですよね…。


夫は、ゴルフは好きですが、ジムに行ったり走ったりは嫌いです。
サッカーもバスケもできますが、自ら仲間を集めてフットサル
やったりというマメさもありません。

というわけで結局、
「いやー疲れた」と振り出しに戻るのであります。



「疲れた疲れたと連呼する人ほど、
 おのれの身体のメンテナンスをしない」

これ、ほんと謎です。


多分ですが、自分の身体がまだ、若い頃のように
放っておいたら回復するものだと期待してるふしがあります。

あとはもともと「自分の身体の手入れをする」という概念がない。



でも35過ぎたらもう、若い頃の貯金など尽きてるんですよ。
腰をあげてメンテナンスを始めないと、ほんとうにやばい。

「すごい寝る」「ゴロゴロする」「酒飲んで盛り上がる」
これ、ほんとに疲れてる人には効かないどころか
余計疲れを醸造するものだと私は思ってます。


いちばんの方法は「運動して汗をかく」ことです。

あー正論だつまんねーと思いますよね。私も思います。
でもしょうがない。これがいちばん効果ばつぐんなんだもん(笑)


疲れた身体(とくにPC仕事や会議や人間関係などでの疲労)
そこかしこの関節がサビたり油がにじんだりして
変なふうにがっちりロックされちゃった機械と同じです。

それをそっと横たえても、アルコールを与えても、
サビは取れないし固まった関節は動かないのです。


まずはストレッチやプロによるマッサージで
バリバリの身体を少しほぐしてもらう。
すると一時的に、関節は動くようになる。可動域が広がる。

そのタイミングで、中のエンジンを動かしてあげるです。

やらねばならない運動じゃなくて、
どうせやるならやってて楽しいやつを。
最初は適度でいいのですが、できれば運動の終わりには
大汗かいて息切らしているくらいのものがいいです。

難しい決まりや準備がなく、自分の感情のおもむくままに
やってもあまり問題がなく、一瞬でも「全力出した」感じが得られるもの。

そうして汗だらだらしながら
「ゼーハー…はあ終了―!」てなった後は、
シャワー浴びた後や、ビールをあおる時や、
ごはんを食べる時、くたくたでお布団に入る時
ものすごい気持ちよかったり美味しかったりします。

頭がカンカンになって内面に溜まる「疲れた…」ではなく
純粋に肉体を使った後の疲労での「疲れた―!」は、

不思議なことにいろんな疲れを吹き飛ばします(笑)


自分の関節だの筋肉だのエンジンだのがサビて
一切の動きなく固まって、倒産寸前の工場みたいになってたとこから
すべての工程がガッシャンガッシャン動き始めて
「フル稼働だぜーー!増産増産!」て景気いい工場みたくになる。

動かしたほうが、余計な重たみとサビは抜けるんです。


そして、頭だけが始終働いて考えすぎていたあれこれが
「んー…まあ、大したことじゃないな!」みたいな、
いい意味での雑で楽観的なモードにチェンジしやすくなります。
頭でっかちの頭を、元気な身体のほうが支配するようになるのです。


35過ぎからの運動にはもうひとつ重要な役割があって、
最低限の筋肉を鍛えて柔らかくするので、
年を取ったときの貯えになるのです。

シニアと言われる年齢になると、
本当に基本的な筋肉のあるなしが大事になります。
それがないと、腰も膝も曲がり、歩くのも大儀になる。
ケガもしやすくなる。ついでに気力も、筋力がないと
支えがなくてしぼみやすいです。


ほんとにほんとに、身体が心を支えてるのですよ。


「自分」てものが存在してる場所は「頭」や「心」だと
思うひとも多いかもしれませんが、わたしは意外に
「身体」ではないかと思っています。


だから、自分の身体が「疲れた」サインを出したなら、
その身体自体を触ってあげたり、ほぐしてあげたり、
動かしてあげたりしなくちゃダメです。

しかも、自分自身の判断でね。


嵐が過ぎるのを待つように、
またはつらさをごまかすように過ごすのは
もう、若くない我々のすることではないのです(笑)

さて、私は夫と一緒に「Rising Sun」でも踊りますか…。