他人の差し出す妙な「正解」は受け取るな。【後篇 ~セクハラを思う~】 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


それにしても

私、おっさんが若い女子とつきあいたいって欲は分かるよ。
たとえおっさんが結婚していたとしても。
別にその欲は否定しねえ。
私も既婚だし若くないから、若い男子が来たら嬉しいもん(笑)

だからその気持ちは分かるのだけど、
多分それを「意義があることだ」とか
「モテる女の子はそれを嫌がらない」とか
もっともらしく意味と権威をつけようとする
おっさんが嫌いなんだと思う。


理屈つけんな。

それならいっそ
「若いねえちゃん大好き!俺とヒャッハーしようぜ!」
って言ってるおっさんの方が5000倍いいよ。


…高田純次の顔が真っ先に浮かびましたが(笑)
彼が「年を取ったら、説教、自慢話、思い出話を
抑えていかないといけない」と言った意味がいま、
とてもよく分かる。


セクハラとか、おっさんと若い女の話が出るたび、
私が思い出すのは新卒で入った広告会社の上司や先輩たちのことだ。


あの頃、20代女子の私は飲み会があれば
上司の横に座らされてお酌していたし
カラオケでは肩に手を回され、デュエットしたりした。

エレベーターでだいぶ年上の男の先輩が
後から乗ってきて、ふざけてうおーっと
抱きついてきたりもした。

性の話、彼氏とどうなのみたいな話、
そういうの、たくさん聞かれたし
向こうからもリアルな体験を話してきた。



でも不思議なのだ。
「セクハラという言葉がなかったから」ということではなく、
私はそれらを嫌悪していなかった。
気持ち悪いとも、特に思わなかったのだ。

ずっと、それは何でだろうと考えてた。
今までは「ギラギラしてないクリエイティブ職の男性で
かつ本人たちも実際のところは私に下心などなかったし、
つまりはキャラクターなのだな」と思っていた。

だから「セクハラは何をするかじゃなく
誰がするかだな」と思っていた。

だけど、ちょっと違うのかもなといまは思う。


彼らはみんないい年だったし、
それなりにすごい実績のある人たちだったけど
それをもって、若く無知な私たちに
「お前ら若造に教えてやる」「俺は経験が違う」
みたいなところが、皆無だったんだ。

彼らは、酒飲んでの説教や栄光自慢もしなかった。

特に女性に対峙する時は、
「女や色恋に関してはシャンとできない俺」
みたいなものを、素直に出してた。
だから可愛げがあったんだ。
えばったり、しなかったんだ。

だから
しょうもないなー男はいくつになっても!みたいな気持ちでいられたし、
こちらがマジで嫌なら全然なんでも言える空気だったわけだ。


私が、前篇に出てきた男性の物言いが嫌だったのは、
「自分はとても経験豊富で理知的で色々分かっているよ」、
という雰囲気を出すと同時に、なぜかいつもそこはかとなく
女性全体を見くびってる感じがしたからだと思う。

若い女はつたない。
色恋が人生の中心だ。
それは、見くびりだ。

件の男性とセクハラとは関係がないのだけど
誰かを見くびることは、差別やハラスメントにも
最後のところではつながっていく。


セクハラってのは多くの場合、
権威や地位をかさに着て行われたり、
(非常に欲してるくせに)女性をひどく見くびって
行われたりすると思う。
実際にやられたり言われたりした中身より
その卑劣さのほうが嫌だったりもする。


私が以前の会社の男性たちを
少しも嫌でなかったのは、
地位で人を押さえつけなかったということと、
女性をバカにしたり見くびったりしなかったということと、
自分たちの「女に関するしょうもなさ」を
全然隠していなかったからだ、と思う。

高田純次の高みとまではいかないけど、
「僕が君に教えてあげよう」派じゃなく
「ヒャッハー☆」派だったんだな(笑)



色恋や性愛は、理性ではできない。
だめだと思っても、やってしまうものだ。
そして、基本的に格好わるいものだ。
そこにたくさんの「べき」と「べきでない」はある。
不利と有利もある。うまい作戦もあるし、
下手を打つパターンもある。

だけどそれを他人に押し付けてもいけないし、
「君はきっとこれ」と決めつけてもいけない。

特に、年をとった我々なら、
アドバイスも実行もひそやかに行え、だね(笑)