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ここんとこずっと「テレクラキャノンボール」がぶっちぎりだ。
ググッてみたら、
私のこのときの記事が
映画そのものの告知やアマゾンレビューの次に
来てるではないか。やばい(笑)
それで来て頂いた方、ありがとうございます。
ちなみにその検索のついでにこの方のレビューに
ぐっときたのでここに貼っておく。
少しのネタバレはあるが、観る予定のない人はぜひ読んでみて。
↓
男たちの暴走っぷりを見てなんとなしに湧きあがった
悔しさみたいな感覚に、共感。
で、このレビューで久しぶりにあの映画について考えてたら
ふと、本に書かれていた箭内道彦さんのこの言葉を思い出した。
映画に出てたAV監督たちは
別に男子力(というものがあるのならば)アップや
コンプレックス克服のために、
あのレースに参戦したわけではないけど
なんとなくこういうことを体感していて、
それをさらして、その状態の自分で勝負に打って出ているからこそ、
それをさらして、その状態の自分で勝負に打って出ているからこそ、
すごいパワーと魅力がわれわれに「放射」されたのかもしれないと。
私たちも、「こうならねばならない」
「欠如したものを埋めねばならない」
という「克己→挫折→諦観」の無限ループで
ヒリヒリしたり泣いたりしてないで
ダメなこと自体が何かになって
それが独特のアウトプットになっていく、みたいな
作戦を考えたほうが人生楽しくなるんじゃないか。
無理して素敵なもの、素敵な自分をつくりあげるより
ダメなもの、ダメな自分という素材で何か面白いこと、
やってみねえか?って。
暗いこと。だらしないこと。貧乏なこと。
会社がやばいこと。恋人がいないこと。
癇癪もちなこと。趣味嗜好が異常なこと。
友達がいないこと。厳しすぎること。
「垢も身のうち」ということばが結構すきなんだけど、
たとえばそんな「汚いし落とすべき」と思いこんでる垢の色々を
自分独自のコンテンツに変えていけるかもしれない。
そう思って、生きていこうぜ。