ショートカットの女 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。



ショートカットにして気づくことは
今まで簡単に「女っぽさ」が出せていたものが
きれいさっぱりなくなったなということだ。



ごまかしが、きかない。



髪の毛というのはつくづく
存在感のデカい額縁だ。


中の絵の(顔)の印象すら左右するデコラティブな額縁が
とたんにミニマムな枠になったようである。


ほっとくと、女であることを
世に告知していない状態になる(笑)



だから、口紅の色など
もう何年ももともとの色素よりも
薄く、ベージュにしていたのに、
髪を切ったら赤っぽい色をつけねば
なんとなく締まらなくなった。


(ついでに着る服も、カジュアルが難しくなった。
ガサツにみえてしまうのだ)



メイクも、眉や目の印象を強くするようになった。


そうするとつくづく
「あたしはフィリピンのオカマに似てるなあ」と思う(笑)



「いやいや、手抜きじゃなくて
 オシャレで短くしているんですよ」と
アピールしようと一生懸命な自分が
なんか妙だし滑稽でもあるなと思う。



髪の毛の長さひとつで、
自分が「このくらいには女っぽい」と
思っていたことが、簡単に変わるなあと
おもしろく思うのだ。



子供の頃から学生時代まで、自分が女であることが
とても気恥ずかしく向いてなく罪悪にすら思い、
ことさらボーイッシュに振る舞っていたが
社会人になってそれを真逆に振る解放感を覚えた。
女をアピールする、女を使うということに
はじめて夢中になった。
その時間は、とても長かった。
ボーイッシュだった年月を全部取り戻すくらい。



なので久しぶりにその安易な感じをやめてみて
どっちにも転びきらないとこにいる、
いまに至った自分がおもしろい。



夫は幸い
「短いほうが俺は何かテンションがあがる!」
と言っている。


情けない話ではあるが、
それが自信のベースになっているところはある(笑)




でもとにかく、
ごまかしがきかない状態だと、
顔をちゃんとあげて、背筋のばして、
胸をはって、なるべくキレイにサッサと歩いて
つまり堂々としていることが大切なのだなと悟った。


そして今までよりもっと表情を豊かに
口角あげて、たくさん笑おうと思った。



そういうことが分かっただけでも、収穫である。