あの頃の | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。



先週末、大学のサークル仲間との新年会に参加した。

私が所属していたのは「ミュージカル研究会」というサークルで、
研究会といっても「観る」ほうではなく「演る」ほうである。


私が入った時点では確かに先輩たちはミュージカルをやっていた。
しかし我々の世代が主導権を握るにつれ、ダンスの比重が多くなり
(ジャズダンスのレッスンを受けまくってダンサーとして活躍を始めた
同級生がいたために皆がレッスンを受け始めた)、歌もあるにはあったが
最終的には「ダンスメインで、プラス歌と芝居またはコントの舞台」の
定期公演を打つサークルとなった。

(余談だがこのサークル、名前を改めて今は何百人もが所属する
大規模ダンスサークルとなったようで、なんか感慨深い)

ダンスに力を入れたために、卒業したメンバーの中には
プロのダンサーや劇団四季の役者などが何人もいるんだよ。
(私もそれで会社やめてダンサーに走ったのだ)


後輩のひとりは、学生時代バリバリのバレエ団員だったのだが
卒業後、一般企業に就職し結婚した。しかし子育てをしながら
学校に通い、バレエ教師の資格をとって、現在は自宅で
バレエスタジオを経営し、子供や大人を教えている。すごい。


そんな彼女のスタジオで、みんなで集まった。


会社員、主婦、役者、ミュージカル俳優…。いろんな顔のメンバー。
でもひとたび言葉をかわせば、あの頃のままのくだらなさとアホさ(笑)


酒を飲み唐揚げを食いながら、メンバーのひとりが
丹念に用意してくれた、過去の公演映像を眺める。


「やめろーーーー!俺の主演作は飛ばせーーー!」
「ねえねえ、ママどこにいるの?」(メンバーの娘ちゃん)
「ママはここだよ!ほ~らこの踊ってるのはパパだよ」
「ギャーー」
「何だよこの演出…広野ぉ…」
「言うな…スマン…少女マンガだ…」

ほぼ公開処刑のような上映会で、みんなゲラゲラ笑いながら観てたが、
ダンスシーンになると、笑いがおさまった。

「なんかさ…けっこう踊ってるよね俺ら…」

「うん…何この難しい振り!いま観るとすごいね」

「よくやってたなあ」


自画自賛と言うなかれ。
私たちは内心、「きっと芝居同様、ダンスもつたないんだろう」と
思って観たのだ。でも意外とそうじゃなかった。

ある程度、難易度の高い振付を
頑張ってこなしていたのだ。

当時すでにプロとして活動してたメンバーが
振りつけたものが多いからなのかもしれない。

そして我々が卒業後に社会人になっても続けた公演を観ると
さらにレベルがあがっていた。プロの数が増えているから
当たり前といえば当たり前だが、大人になった自分が観ても
20代最初の頃の私たちは、けっこういいダンスをしてたのである。

上映会


私は、正直ちょっと打ちのめされた。


今までの人生で、「あの頃(のほう)がよかった」と
思ったことはない。いつもわりかし「いまがいちばん」と思うタイプである。

それに、大学時代なんて(その前もだが)優れた他人との比較と
己のコンプレックスの凝視で、いっぱいいっぱいだった記憶がある。


だけどスクリーンに映し出される粒子の粗い映像の中の私は、
今よりずっとスリムで、顔もキュッと締まっており、
何より生き生きと楽しそうに踊っていた。


キラキラしてたのだ。とても。


そんで「かわいいじゃんコイツ」と思ったのだ(笑)


打ちのめされた理由はふたつ。
ひとつは「あの頃の自分に負けてるじゃん俺」ということと、
もうひとつは「あんなにダメだと思ってた自分がいま見ると魅力的」ということ。


若く見られるからと油断してたが、
いまの私は、あの頃より確実に老けてゆるんでいるではないか。
当たり前といえばそれまでだが、でもあの頃の自分には負けたくない。

とくに、動いているその姿や、踊るちから、
そして、楽しそうなそのさまは。

つまりは、もっとキラキラしてなきゃアカン、いま現在。


それと、コンプレックスとか「私ってダメだな」という思いは
世の真理とイコールでも何でもないんだなと。

過ぎ去ってのち、未来の自分が見てみれば、
「アンタが思うほどじゃねえよ」という程度なんだ。
それどころか、ちゃんと魅力的なところがいっぱいあるんだ。


あの頃の自分が、それはそれは幸せそうに踊っている。
それを、いまの自分が、こちら側に座って観ている。

「あの頃の未来に 僕らは立っているのかな」
という歌詞が頭をめぐっていく。


踊る、という事柄だけではなくそれ以外の暮らしでも、
あの頃の自分みたいな顔で何かをやりたい。
新年会のあいだ中、そんなふうに、痛烈に思い続けた。


金の心配がなく、まだ就職のことも考えなくていい大学生。
大好きな仲間と舞台のことだけ考えてりゃよかった自分。
それに比べたらいろんなことが双肩にかかってるし
楽しいことだけじゃないけど、ほんとにそうか。

「楽しいことだけじゃないから」って言い聞かせて
楽しいことを創り出すことをあきらめてないか。

「こんなもんでしょ」は大嫌いな言葉だが、
どっかで「こんなもんでしょ」と思ってないか。

もっと未来の自分が振り返れば、今ですら
「あんたあの時あんなに若くていい時代だったのに、何してんの」
と言われるんじゃないか。

コンプレックスも、他人比較も、恋愛も、
いまの方がずっと悩みが解消されてスッキリしてるのに
あの頃よりもどんより、なんとな~く生きてはいないか。



あの頃の自分はよかった、じゃない。
あの頃の自分に、いまを言い訳したくない。
あの頃の自分に、負けたくない。
もっともっと、楽しく生きたい。
自分の手で、それを創り出して。


このメンバーで、この場所で新年会をしなければ
こんなふうには思えなかったよ、ありがとう。


原点というのは、大切である。
少なくともわたしにとっては。
それは通過点ではなくて、
あくまでも根幹なのだ。

小さい頃に描いてたもの。
思春期や学生時代に必死になっていたこと。

それは、大人になって訳知りになってから得たことよりも、
わたしという人間には必要なものなのだと思う。

他にももっとあるかもしれない。
放り出した、キラキラしたものが。
きっと私は生涯かけて、
その置いてきたものを拾ってゆくのかもしれない。
そんなふうに、思った。