とりあえずノッてけ | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


何かの本に書いてあったけど、
願いが叶いやすい人、というか
願うまえにいろいろ叶っちゃう人のポイントとして
「誘いにはとりあえずノッてみる」
「ときには流れに身をまかせる」
「ハプニングを楽しむ」
というのがあるそうだ。


そこにイヤ~な感じがしなければ
一見、自分のなかで結びつかないものでも
少しでも「ピン」ときたら自分の直感を大切にして
「YES」と言って腰をあげてみる。

そして思ってたものと違うものがやって来たり
予想外の方向転換を余儀なくされたとしても
「ま、これはこれで何か起こるかも」と
楽しんでみる。


年齢と経験を重ねて、自分のことも
世の中のことも何となく掴めている(気がしている)と、
「それ趣味じゃねーし」
「どうせこうなるから面倒くさそう」
「いやいや無理でしょ」
みたいな「事前カット」は増えてくる。

そうすると確かに、自分の思ってるサイズ以上には
世界は金輪際広がらないんだよなー。


別にそれを読んだからというわけではないが、
私も「ピンときたものにはノッてみる」ようにしてる。


そういやこれまでを振り返っても、

同期の友人の「お前ヒマだったら今度創業した会社でバイトしない?」
のひとことでいまの仕事をしているし

「騙されたと思って観て!騙されたと思ったら二度と観なくていいから」
と差し出されたDVDで氣志團にハマッて多少の人生と指針が変わったし

ネット上でやりとりしてた人に
「次のGIGよければ一緒に行きませんか?」と言われ
会ってみたら吃驚するほどナイスな奴で今じゃ魂の飲み友達だし

落語も、何聴いていいか全く分からん時に
年上の素敵なねえさんに「チケットあるけどいかない?」と言われ
行ったが最後この浸かりようだし(笑)


いま大好きなものや大事なものは、意外と
「ひょんな誘いにノッたから」始まってる。


行ってみてやってみて「ああやんなきゃよかった」ってことは
実際問題ほとんどない。不思議だね。


もちろんイヤな予感がするとか
まったく気が乗らないとか
危険を伴いそうなものに乗るこたないし
自分のなかの軸はある程度持ってる必要はあるが


自分の「分かってる」だけで生きると
実は色んなものを掴みそこねてるんだよなと思う。



というわけで先日、大好きな女友達が送信した
「自分が行けなくなったので代わりにこの舞台に誰か行かない?」
という数人宛のメールに「はいっ」と挙手してみた。

多分こういう誘いがなければ自分で進んで取りはしないが
日頃なんとなくいいなと思ってる俳優さんたちの芝居で
私がちょうどひと段落ついてたタイミングの日付で
うちからわりかし近い街のホール。

これは、ノッとくべきだろう。

こういうパターンは、しあわせを呼ぶのである。
わくわく。