「自分の思う自分」は現実か、呪いか。 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。



「自分が思っている自分より、赤の他人が見た自分の方が…」

ある実験の動画。




この動画みてたら何だか胸がキューとして泣けてきた。

私は昔からずっと自分の顔といわず身体といわず
外見にかなり根強い劣等感がある。

男っぽいこわい顔も、下がった口角も、胴長短足も、
きれいじゃない肌も、ちいさい胸も…(以下続く)

もちろん両親にはめちゃくちゃ感謝してるし
他の「いいポイント」があるのも知ってるし、
この年齢になって昔より愛せるようにやっとなったけど、
それでも払拭はしてない。

今でも時々、ガクーーーーーと落ち込んだりする。

その呪いは第三者からのもあるけど、
自分自身がかけてるところはほとんどだ。
…でも、みんなみんな、そうなのかもしれない。

この実験で似顔絵を描いているのは
目撃証言から犯人似顔絵を描く人なので
「美しく」ではなく「リアルに」描いてるから、
正直ものっすごい差があるわけではない。

なのにやっぱり歴然と、絵が違う。

その2枚の絵を見比べる女性たちの目に、何ともいえない光がある。

あんまり自分を過小評価しないで。
意地悪く見ないでいいよ。
そう言われたような気がして、泣けてきた。




外見内面問わず、
自分を他人と比べてこれがアカンのかも、
これがダメだからなのねと気にするのは
恋をしている女(と、恋をしたい女)がいちばん顕著なのかもしれない。

こんなんじゃあの人に(もしくは男性一般に)好かれない。
あの人の反応がいまいちなのは、あの人が他のひとを好きなのは、
わたしのこういうところがダメだからかもしれない。

そう気にしだす気持ちはすごくよく分かる。

(だからきっと若い娘ちゃんたちのほうが過小評価気味なんだろう)


そして、少しだけ自分を受け入れてくれそうな男性に対して、
ああやっと…と安堵しつつも築いてきたコンプレックスが堅固なもんだから、

「私って本当はこうなのよね…」
「私、実はこういう過去の傷があって…」

などと、聞かれてもないのにトラウマや根深いコンプレックスを披露してしまい、
本来はそれで「そんなことないよ♪」とか「大変だったね」とか
言って欲しくてやったはずなのに、
「うわ…コイツ自分にとことん自信ないんだな」と
引かれてしまう結果になったりするのだ。


お店で商品を手にとったとき、
店員さんが「いや…これほんと大したものじゃなくて…」
なんてとつとつと語りだしたら、その商品を誰が買うだろうか。

自分のことを自分が好きじゃないのに、
どうしてどっかの男性が好きにならなくちゃいけないのだ。


恋するから、愛してほしいから、
何かを失いたくないから、
自分のだめなところを探してしまう。
それをアピールしてしまう。

かなしい矛盾であることよ。


女子よ。この動画をみて無理やり気づこう。
自分は自分が思ってるより素敵だ。
だめだと思ってるポイントは、他人はそんなに気にしてない。
だからもっと笑って、堂々と、わーいこれが私だよと、
私は私が大好きだから、もしよかったらあなたも
わたしのことを好きになってくれたら嬉しいなと、生きよう。

おれもがんばる。