めんくい諸考【2】 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


さて【1】で恋愛に関する「相手の顔面評価」に関する己の経験を好き勝手に語ったが、
世の中わたしみたいな酔狂な人間ばかりではないだろう。


では、件の友のように
「相手の顔が好みじゃないときどーする!?」のがいいのか。



それに対して、私は2つの答えを用意する。


ひとつは
「顔を選択基準に入れない生き方」を提唱したい。


「男の顔にこだわらないとこれだけいいことがある!
 だから顔が好みでなくてもつきあえる姿勢にチェンジせよ」
とゆーことだ。



(男が所望する)女のルックスよりも、
男のルックスに対する女のジャッジはそもそも甘い。


女は自分の「外見」が自信の土台になることが多いが、
男は自分の「仕事」が自信の土台になることが多いので
その自信さえみなぎれば、不思議と男は「いい顔」になったりする。
いい顔にならずとも「いいオーラ」「魅力的な雰囲気」が出て、
それが女を惹きつける。



断言してもいいけど、金持ちの男たちはほぼ間違いなくみんなモテる。
それはツラとは一切関係ない。そこに寄る女たちは、顔など見てない。
見てるのは、金、というよりも「彼にみなぎる自信といいオーラ」だと思う。


というわけで、外見(ディテイル)にこだわると

そういういいオーラまで見逃す可能性があってもったいない(笑)



男はツラなどどうでもいい。
自分の人生に自信があるか。
そこまで大層じゃなくても、いまの仕事を愛しているか。
そこからくる輝きが目や顔に出ているか、をジャッジしたほうがいい。

それがあるならば、彼はきっと年をとるごとに「いい男」になっていくだろう。



あとはそんな深遠な判断のしかたをしなくとも、
「いまいい感じに仕上がってる」男よりも
「これからいくらでもよくなりそう」な男のほうが絶対楽しい、というのもある。


顔イマイチ、服ダサい、でも中身はいい、というのを手塩にかけたほうが大化けする可能性大!



あのね、最初ぜんぜん好みの外見でなかったとしても、愛情をかわしていけば、
そして彼に自信を与えてあげれば、本当に男の顔は変わる(変わってみえる)。


真剣になっている時の顔。ふと見上げたときの横顔。いいことがあった時の笑顔。
「あれ…?この人こんないい顔するっけ?こんな顔してたんだ…!」みたいにときめく瞬間がふえる。


服や髪をアドバイスして徐々にいい感じになっていくのを見るのもまた楽しい。



最初100からスタートして瑕疵を見つけて減点していくより、
最初10からスタートしたほうが加点しやすいんだよねとても。

男の顔を、ともに「つくりあげていく」のは何よりの喜びではないだろうか。



 「いい男はみんな彼女か嫁がいる、のではない。
  彼女や嫁が手をかけて育てて、彼をいい男にしたのだ」


ということをどなたかが本で書いていたが、その通りだと思う。



完成品を探して手に入れるのではなく、
よさそうな原料を手に入れて自分で組み立てて磨いて、完成させていくのがよし!



何度もいいますけど、オシャレに興味のない無頓着くんとか
あまり女性に褒められたことのないイマイチくんとかのほうが
こちらが褒めて育てていけば本当に大化けするからね!アップ


まあそこまでじゃないにしても、「好み」なんて
意外とあっさり変化するからね。

さほど固執する必要もないんではと。




そしてもうひとつの答えとしては
「そんならやめれ」を提唱したい 笑



件の友が「いい人だけど顔がダメ」と思った男性は
某芸能人(モテないおっさんキャラ)に激似だという。


私からすればその芸能人の顔なぞ、
キャラづけが三枚目すぎるだけでむしろ二枚目なのじゃないかと思ってて
自分ならいつだって「この人かっこいい♪」にシフトできると思うのだが(笑)


たぶん彼女は、その芸能人に激似だから「いや」なのではないんじゃないかと思った。
突き詰めれば外見が「生理的に受け付けない」のでは…?と。


雑食の私だって「この人がいくらいい人でも恋愛は無理だなあ」という外見はあるし。(多分…)



中身のよさを認識して、それでも外見が壁になるというのは、
もう生理的に男性として意識できない、受け付けないということなのかもしれないよ。



それはもう無理なんじゃないか 笑


やめときゃいいんだ、それは。
友達として仲良くしていけば。



いまの世の中、特に女性は、
なぜか恋愛や結婚をしていないと「人としてヤバイ」みたいな風潮がある。


年齢がそれなりになったら、ちゃんと恋をして結婚して子供産んで…。
その流れに乗れない自分はどっかおかしい!と焦る人も多い。


出産に関しては生理学的に年齢によるある程度のデッドラインが生じるのは仕方ないとしても、
恋愛や結婚は、もう現代では「年齢にあった必須課目」ではないと思う。


もちろん恋もしたい結婚もしたいとうのは当たり前の感情だけど、
恋なんて降って沸くよなもんなので、無理に「好き」をつくる必要はない。


というか無理につくる「恋愛モード」は、やっぱり続かないと思う。



もちろん、自分が相手に対して勝手に厳しい規制をかけている
(こういう人じゃないとだめ、こういう奴ははなからNG、など)のであれば、
それは年齢とともにとっぱらってゆるゆるとおおらかに構えたほうがいいけど


そこまでではないのなら、普通に暮らしていて恋がないのなら、
それは「そういう時期」なだけじゃないかなーと思う。


女はいつも「好きな人」がいないといけない、なんて変な話だ


恋がなくても、仕事があり、友があり、それで毎日なんか充実してて楽しいなら、
わたしは無理に「恋愛仕様」の自分につくり変える必要などないのではと思う。



読む本がない、ならば読書など無理にしなくていい。畑でも耕せばいい。
「どこにいったら、どう姿勢を変えたらわたしは本が読みたくなるのかしら…」などと思う必要なし。


「うおー、どうしても無性に本が読みたい!そうね、超絶ミステリーが読みたい!」とムラムラするなら、
そのとき初めて本屋にいくなり書棚をあさるなりすればいいのだ。


そして本能のおもむくまま好き嫌いせず色々読みふければ、

いつかは超絶ミステリにあたるかもしれないし、

意外や意外、すてきな絵本にハマるかもしれない。



もしかしたら40で、もしかしたら50で、
ほかのひとたちが恋愛や結婚の夢想に破れ何かを諦めたあたりで
そのひとは猛烈に熱い恋を成就させるかもしれないよ。


いつか訪れるわくわくする瞬間を、ただ楽しみに待つのもいいと思う。
(むろん、男性をゆるゆると暖かい加点法で眺めつつね)


なんかね、部活動みたく恋愛や結婚に向けて無理に活動する必要なんてないんじゃねえかな。



西原理恵子と高須院長が交際宣言したらしいが、彼らのインタビューを読んでいると、とてもいい。
長年の友人関係から、お互いの大変な時期を見てきて、この年齢になって同志的な恋愛に発展した、

みたいな。


恋人ができないのであれば、
最高に頼りになったり、最高に面白かったり、
最高にあたたかい男友達をたくさんつくるのもいい。


長くつきあううちに、それが恋に変化する時がくるかもしれないし、
こなかったとしてもかけがえのない財産になるのだし。



相手を「男として好きになれるかどうか」で見なくてもいいと思うよ。
同性と知り合った時のようにただ「人として好きかどうか」だけで見ていこうぜ。



恋は意外とそこら中に転がってる。
ただ、「アリかナシか」の即ジャッジさえしなければ。


いったん「人としてアリだなー」とすくっておいて、懐で温めようではないか(笑)


美味しく滋養にみちたゆで卵になるか、
あなたを守る凛々しい雄鶏になるかは、あとのお楽しみだ(笑)




…こんな結論でいいのかわかりませんが、

しかも後半は「女は恋愛必須」を否定するという横道それをやらかしましたが
これが私なりの面食いに関する考察でございました。


とっぺんぱらりのぷう。