2011.3.11の個人的備忘録 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


昨日14時46分には追悼記念式典を横目にみながら、

ツイッターで見付けたニューヨークタイムズの震災のさまざまな写真 をずうっとみていました。


日本の報道では決して出てこないすさまじい写真も、

どうしようもなくかなしすぎる写真も、力づけられるような写真も、いろいろありました。

それと比べるととても切実さのない私の去年のこの日でしたが、

当日と翌日に書き留めておいた記録をアップする機会がないまま1年経ってしまったので、

ここに載せておこうと思います。


個人的備忘録なのでとくに何のメッセージも主張もないですがあしからず。



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2011.3.11


とてもいいロングmtgを終えて、
モチベーションがとてもあがりつつ
「あーお腹すいた、何か買いに行こう」と思っていた時に揺れ。


最初はごく弱い揺れで、オフィスの皆で「揺れてるねー」と言いつつも
いつものようにじきにおさまるだろうと思っていた。


しかし揺れはおさまらず、それどころかどんどん強くなる。
窓のブラインドがガシャガシャ揺れ、
私のデスクにずらっと並べてある本や書類がダダッと倒れ、
隣席の子の飲みものが倒れてこぼれた。
このあたりで皆が「これはやばいよ」と言いながら次々と机の下に隠れた。


ビル内の機械アナウンス。
エレベーターがとまりました。
窓の近くに近づかないでください。など。


壁掛け時計が落ちそうに揺れている。


長い長い間に感じたが、揺れがおさまった。
そのときライターのKくんが上着を着て荷物を持ち、
「はやく外に出ましょう!」と言ったが、
その時は皆「おさまったし」という感じで外に出ず、仕事を続けた。


ところが間をおかず、おなじくらいの揺れが来たので、
その時はもう皆が「これは外に出たほうがいい」と言いながら
次々としたくをして非常階段を降りた。


オフィスビルとホテルが隣接しているので、
下にはたくさんの人が出ている。


ホテルでは謝恩会が行われてたようで、
晴れ着姿の女子大生たちが大量にいた。



広野ゆうなのフーテンひぐらし-避難中2


外に出てからふたたび強い揺れ。
私たちのオフィスビルが、全体的にぐわんぐわん揺れているのが
よくわかり、見あげているだけでおそろしい。


外に出たといっても、こんなにビルの真下にいては危ないなと思う。


外は寒く、ホテルの人たちが非常用毛布を
アウターも着ていない女子大生たちを中心に渡していく。
ホテルの人のこの処置はとても早かったなと思う。



社長が声かけして、ネットプライスのメンバーで集まり、
部署の仲間が皆いるかどうかの確認。


このままいつまで待てばいいのか分からないまま外で待っていると
とにかく寒さが身にしみてくる。特に今日はスカートだし…。



広野ゆうなのフーテンひぐらし-避難中2


ここにいる間に、同僚バイヤーオガが気を利かせて

ロス出張中のマーに「あなたの嫁はここにいて無事だよ」と

SNSで知らせてくれた。


1時間くらい待っていただろうか?
ビルの人が「安全確認ができたので、ビル内にお戻りください」とアナウンス。


非常階段をのぼってオフィスに戻る。
6階の一部がひび割れているらしいが、
このビルの耐久性って大丈夫なのかはなはだ不安。


オフィスの窓からみると、お台場方面から黒煙があがっていたり、
どこかは分からないが海沿いで大きな火柱があがっていて、
皆が窓にかけよって様子をみている。


広野ゆうなのフーテンひぐらし-窓の外



窓際に置いていた植木が倒れてた。
その植木と掛け時計と、社長のおおきなMacは床に置いておく。


社内の災害用備蓄品がテーブルに積まれる。


携帯はぜんぜん通じないので、ひたすらPC画面でTwitterをみて

情報や知り合いの動向をチェックしていた。



帰れる人は帰ることになり、
私は18時くらいに近所のしのびっとと徒歩帰宅開始。


通りは徒歩帰宅の人たちであふれんばかり。
山手通りもものすごくたくさんの人たちがおなじ方向に歩いていく。
駅は完全に機能停止、タクシーは皆無、道はものすごい渋滞。
たぶん、車よりも歩いたほうが早いかんじ。


バスが通っていれば…と思ったが、バス停には長蛇の列、
ときおり通るバスは、ものすごい混みようだったのであきらめる。


ヒールで歩いているので足が痛いのと、
花粉で目と鼻がつらいのと、
強風で寒さが身にしみている。


途中の自転車屋さんは長蛇の列。
自転車で帰ろうとする人たちがこぞって自転車を買ってるのだ。



途中のコンビニで靴下とカイロを買い、
タイツの上に靴下を履いて足の痛み軽減。
カイロを腰に貼るがあまりあったかくない。


1時間半くらいで中目黒に到着。
中目黒は普通で、お店も通常営業しているので
「お腹がすいた」というしのびっとともに
いきつけのお店に入って食事をした。


その間も、渋谷方面目指して徒歩で帰る人たちが店の外をぞろぞろと。


ドンキホーテは陳列もちゃんと戻っており、
たくさんの人がインスタント食品などをたくさん買ってた。



家に帰ってみたら、
心配していたワインラック、食器、本棚はちゃんと無事。
ドアが揺れでしまっていた。
世界時計が手前に倒れていて、
マーの棚の上の人形が落っこちていた。


洗面所の棚をちゃんと閉めてなかったのでそこがあいて、
マーのひげそりなどが落ちていた。



電気ガス水道はぜんぶ平気。



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記録はここまで。


後で知ったが、この避難中の写真を撮っているちょうど15時半前後、

東北沿岸ではおそろしい津波が次々と襲いかかってきていたのだ。

単に冬の寒さに震えていた自分は何と平和だったのだろうとおもう。


私は幸い、徒歩帰宅できた上にフツーに晩御飯とお酒を楽しめていたが

この頃オフィスでは帰宅困難者になった社員がたくさん会社に泊まり込み、

社長や役員が車で往復して毛布やお米を入れた炊飯器などを会社にどんどん差し入れてた。


この日の対応やその後の自宅待機指令など、

会社の対応は常に誠実かつ具体的かつ迅速で、とてもありがたかったのを覚えている。