男たちからみた「恋愛とどのつまり」 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。


さいきん読んだ本で、本編の内容にさほど関係ないけど
「恋愛においてこれはけっこう至言だな」と思ったのが
あったので、ここに書き留めておきます。



ひとつめは流転の海シリーズ最新作「慈雨の音」より。


主人公・松坂熊吾は親友の忘れ形見の娘の面倒をみていますが
年頃で、人目をひくその娘の男性関係を心配してひとにそれを語るくだりです。
熊吾は60代かつ伊予弁なので、そのトーンで読んでみて下さい。


「わしは、家庭のある男のしつこい誘いを心配しちょります。
そういう男の口説き文句は、都会じゃろうがいなかじゃろうが、
百人が百人、おんなじじゃ。


女房とは長いことうまいこといっちょらんので、近々離婚することになっている。
女房も同意しているが、いろんな事情があって正式な離婚には少し時間がかかる。
それまでは辛抱してくれ…。


賢そうな女も、みんなこの言葉に騙されますんじゃ。
男がそう言うたからという一種の免罪符みたいなものが、
女の心に穴をあけさせるのかもしれませんなァ。
この人は妻や子を捨ててまでも私と一緒になろうとしてくれているっちゅう
甘い気分で我を忘れてつっぱしってしまいよる。


だいたい長うて五年か六年で、そんな関係は終わるしかなくなりよる。
男は、なんやかんやと事情を並べて、女房とは離婚せんのです。
当然じゃ。男は離婚する気なんか初めからないからです。
そのうち、ふたりのことは女房の知るところとなる。


男はどっちを選ぶか。
百人のうち九十九人は、妻のおる家に帰りよる。
残りのひとりは、よほどの馬鹿か、ひとでなしじゃ。
九十九人の女は、ただ泣きを見るだけです。
男とのことで疲れ果てて、歳を取って…。


男に経済力があれば、別れるときに幾分かの慰謝料も払いよるじゃろうが、
そんな金では、失った時間は取り戻せんのです。」


熊吾よそういうのもっとはよ言うて!
現代女子すべてにメガホンで言うて! 笑


本当にこのパターンに尽きるなと苦い経験のある女性ならうなずくはず。
壮年の男性(架空ではあるが筆を取っている宮本輝は壮年男性だし)から
こう言われると、さらに真実味があります。




そしてもうひとつは、三浦しをん最新作の「舟を編む」。

まだ読み途中ですがとても面白く、いずれ紹介します。


その中で、西岡という「自分に自信があるチャラ男くん」が登場します。
自分が思いをよせていたとびきりの美人が、人はいいけど
変人でさえない見た目の主人公くんと結ばれちゃったさまをみた
西岡くんの忸怩たる思いの描写です。



西岡にとって女は謎の生き物で、「なんでこいつを?」と
骨折する勢いで首をかしげたくなるような男を選んでみせる。


わかりやすい見た目のよさや、貯金額や、社会生活において要求される
性格のよさは、選別に際してほぼ関係ない。
女が重視するのは、「自分を一番大事にしてくれるか否か」だと、
西岡は数々の経験からあたりをつけていた。


「誠実なのね」と女に言われたら、たいがいの男は

馬鹿にされているのではないかと勘ぐる。


だがどうやら、女は本気で「誠実」を最上の褒め言葉だと思っているらしく、
しかもその「誠実」の内実が、「私に対して決して嘘をつかず、
私にだけ優しくしてくれる」ことを指していたりする。


 やってらんねえ。いや、やりたいけど、やってらんねえ。


むろん、西岡は「誠実なのね」と女から賞されたためしがなかった。
必要に応じて嘘もつくし、気分に応じて優しさの量を調節する。
それが本当の誠実ってもんじゃないのか、と半ば開き直っている。
必然的に、どの女とも長続きしない。



西岡くん、たいへんするどい。
誠実じゃないから誠実な男に女がなびくさまを
たくさんみてきた、だからこその考察でしょう。


でもこれって、本当にさまよった挙句の女の最後の選択であり、

面白いことに婚活や合コンで「理想の相手」を見つけようとしている女性は、

むしろ西岡くんが得意とする
「わかりやすい見た目のよさや、貯金額や、社会生活に
おいて要求される性格のよさ」
に意外に重きをおいていたりする。


えらぶ観点に是非があるもんでもないけど、それで失敗してる人は
西岡くんが発見した「女の勝手な理論による誠実」で
相手を選ぶのが、しあわせの近道なのよねホント(笑)



ちなみにこの二冊はまったく恋愛小説じゃないので
そのあたりを期待して読んじゃだめよーん