仮ぐらしの俺。 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。



年をとるということは、自分の可能性を絞っていくことです。


男も女も、可能性を絞るというのは、
可能性の限界を知るということではありません。
集中すべき的(まと)を、あくまでも絞り込むんです。



塩野七生さんのこの言葉は、私に大きな勇気をくれる。



20代より30代より、今が精神的に楽ちんだと私はよく言うが、
それはこういうことにも関係していると思う。



20代30代は、もっともっといろーーーんな瑣末な事柄に
絶えず気を取られるし、そちらをまず何とかしたいし、
そもそも自分が何になりたい(仕事や生き方含め)かすら絞り込めていない。
あえて言うなら、自分じゃない何かになりたくてもがいてたと、思う。


40になったら、それがシンプルになる。



ルックスも内面も含め、
自分はどういう武器と魅力をもっているか。
そして本当は何をやりたいのか。


そういうことがぐぐっと絞り込めてくるので、
他にアタアタしないで済んでくるのだ。



でもこれは同時に、とても怖いことでもある。


だって気づいちゃって絞っちゃったらもうごまかしがきかないし
他でゴシャゴシャと「やったふり」して逃げることができなくなるからだ。



わたしはこれからどう生きるか。


それが目の前にドーーンと立ちはだかり、
タイマーが作動するような感覚。



しかも「テメエひとりで気ままにマイペースに」
というわけにもいかない。


パートナーもいるし、親もいる。
いろんな人生のつながりを、40からは決して無視できない。



いらん情報と他人の動向におろおろしなくてすむ分、
自分の人生の責任がハッキリと立ち上がってくる。



わたしはいままで何をつみあげてきたのか。


わたしは一生のしごとをどうするか。


わたしは「こどもを産む」ということをどうするか。


そしてその先わたしは…。



そんなことを考えていたら、
夜の気温の上昇と共に眠れなくなってしまった。


その後マーに元気づけてもらって、安心して寝たのだが…。



今日。



夏バテなど一切無縁に生きてきた私、
気温があがって蒸し暑くなればなるほど、
太陽がギラギラすればするほど食欲とテンションがあがる私が、


吐き気がとまらずフラフラ~っとなっている。
高いところに急に行ったみたいに、三半規管が変になって治らん。




やばい。
おかしい。




家で情けなく横になりながら、
ようやっと起きて仕事をする。




しょぼい!
しょぼすぎる!



何にびびっているんだろう。
何に気負けして体調までひきずったんだろう。
ちっさ!




地に足のつけない、
情けない俺であることよ。



まいにち忙しくはたらいて家族を育て守っているおかあさんたち、

年をとっていろんなことをつみあげてきた中年以降のひとたち、


そんな世のひとたちが全員、とてつもなくえらくみえることよ。