「ていねいにやっていこうと、決めたんだ」 | フーテンひぐらし

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永遠の放課後。文化祭前夜のテンションで生きたい。なかなか大人になれない。

だうも。(←古い挨拶)


こえだちゃんと木のおうちがいまだ存在している と知って興奮中の広野です。

あたしが持っていたのと同型であろう「こえだちゃんとなつかしい木のおうち」まであるの。

ちょっと欲しい~。



当たり前のよで、あまり分からないこと。

人間関係で一見思いがけない“イヤなこと”が起こるのは、自分に原因がある。

(もちろん天災的なものもありますが)それが特に身に覚えがなくとも。
原因にみえる相手を責めたり、友人に愚痴ったりしてみたとき、
その全員が口を揃えて「うーん…そうは言ってもね」と言うテンションなら、
もう間違いなく原因は自分だね。100パー。
頑張ったとか偉いとか思ってるのは、実は自分ひとりだけだってこと。



あ、でもね、「間違ってる」とか「悪い」とか「もっと頑張るべき」じゃないんだよね。
そこまで高ハードルに考える必要はなく。
そんな人格全否定系ではなく。



たぶん魅力的じゃないんだよ。単純に。
例えばひとつの商品としてみたら、金出して買いたいと思えないレベルってことだ。



「わたし」という人間がその時は周りの人に「魅力的な人間」としてうつっていないんだよ。
あくまでも「その時は」だよ。



「こんなにお買い得!!こんなに頑張って開発しました!!」って宣伝しても、
その商品自体にホコリかぶってたり、中身にパワーなさそうだったら、そら売れないわな。
あと、やたらと宣伝ばっかしつこくても、人は手を出さないわな。
「あなたが買ってくれないと年が越せません」みたいな商法でも、引くわな。



どうやらいまこの瞬間は魅力的じゃないのだ、あたし。


その事実は、はっきり認めないといけないんです。
世界が自分に意地悪してるわけではなく、
自分の周りが分からずやでバカなわけではなく、
自分が魅力的じゃないから、周りが引いてる。
嫌われてるとまでいかなくても、
すすんでじゃんじゃん近寄りたいなあ♪と思える程じゃない。
単純にそういう厳然たる事実です。それしかない。



そしてそれはきっと、落ち込むたぐいの話ではない。
だったら魅力的に戻すだけの話だ。


「あたしはあの人にイヤなことなどしてないのになぜ?」
みたいに思うときは、きっと、その相手と関係のないところでダメなんだよ。


それは容姿とかではなく。
自分自身に軸や中身があまりないとか、
日常生活がきちんとしてないとか、
よく考えたら自分勝手だとか、
何かやるべきことを放ってるとか、
自分を抑えて無理に他人に合わせてるとか、
愚痴や悪口ばっかいって笑ってないとか、
簡単だけどもきっとそんな基本姿勢。


で、それをきっちり認めて、じゃあどういう私が魅力的なのかなと考える。
その時、特定の誰かさんターゲットの「魅力」を想定するのではなく、
単純に「いちばんなるべき自分」になるのがおのずと答えなんだと思う。
自分が胸張って「今の自分、好きやー!」といえる自分の姿。


それは結構難しいようで、実は簡単なのかもよ。
挨拶してなかった人に挨拶するとか、
電話すすんで取るとか、
今までギリギリにやってたことを早めに片付けちまうとか、
放ってたことにちょっと手をつけるとか、そんなレベルからだと思う。


1回600万の支払いの上客にポカをし続けてピンチにおちいった城咲仁サマが、
1回2万の支払いの小口客に自分から営業して、心を込めた接客をする。
そんときに言ってた彼のつぶやきは、



「ていねいにやっていこうと、決めたんだ」


でしたよ。




オマエの話はまたホストに落ちるんかーーい!!


すいません♪
でも、今の気分はまさにそんなかんじなの。


誰かのためにではなく、
「誰かの目」意識でもなく、
自分のやるべきことを、
すべて自分のために、ていねいに。



誰かに見てもらおうとして、花は綺麗に咲くのではない。
ちゃあんとそこにひとりで咲いてるから、ああ綺麗だなと人が思うのだ。